第25期 #29
つい先だって使いで寄ったK町の交番から、貴方の財布をお預かりしています、と連絡があった。聞けば、届いたのは三日前だと言う。K町へ寄ったのも同日であるから、落としたその日に誰かが拾って届けてくれたのであろう。
すぐに伺いますと電話を切り、玄関で支度している背後から妻が、先方様の連絡先を聞いておいて、と余計な世話を焼いた。
列車で二十分程して交番に着き、名と用件を言うと、若い巡査が面倒臭そうに財布の特徴と中身を質してきた。私が惑い無く応えると、巡査は背後の引き戸から財布を取り出して机に置いた。確かに私の物であった。中身が無事であることを確認し、所定の用紙に氏名やらを書いていると、巡査が、拾った方に礼はされますか、と問うてきた。
明くる昼、巡査に聞いた番号へ掛けると、くぐもった女の声が出た。
私は妙に焦った気持ちで事情を手短に話し、少し上ずった声で何度も礼を言った。しかし番号の正誤を疑う程、相手は頼りない相槌を打つだけで終始他人事の調子であった。
拾って貰った感謝の念に謝意を上塗りされても困るが、これでは何か空振りしたような気恥ずかしさが残る。私は、どうやってでも相手宅へ赴いて面と向かって礼を言わねば気が済まぬという気になり、むきになったように相手宅の住所を聞き出した。これにも相手は謙虚に辞するでも嫌悪して拒むでも無く、すんなりと所在を教えた。私は不遜にも心情を害され、お門違いな勝気を更に滾らせた。
その話のけりが着くのを待たずに、妻は既に菓子折りを用意していた。
言われた住所はK町の隣町であった。最寄り駅へ降り立ってみて、此処が日頃から粗暴な噂の絶えない土地柄であることを思い出した。私は妻に持たされた菓子折りをちらと見、こんな物で済まぬかも、と自分の我を少し後悔し、だからこそ尚のこと勇を鼓そうとした。
今にも崩れそうな平屋の住居が、教えられた番地に建っていた。呼び鈴の無い玄関で名を告げると、宅の奥から欠伸のような霞んだ返事がした。
戸の開いた先に土色の肌をし髪をやや乱した中年女が現れ、疑念の篭った眼差しで私を射た。私は気圧されたように直立し、事情を説明して菓子折りを差し出した。
女は、ああ、と肯否ともつかぬ声を出し、それを片手で敏活に受け取ると、何も言わず薄い玄関戸を閉めた。
私は静かに深く息を一つ吐き、駅まで戻ってR橋の店で妻に頼まれた卵を買って帰路に就いた。