第25期 #30
「兄ちゃん、腹、減ってない?」
弟の視線は緑の葉が茂る畑に向けられていた。大きな葉の下から、育ったスイカがちらりと見えた。
「別に減ってない」
繋いでいた手は汗で濡れて気持ち悪かった。
真夏の日差しは容赦なくむき出しの腕や足をやきつけ、背中は汗で湿った下着が気持ち悪く肌に張り付いている。
「んじゃ、ノド乾かない?」
「水筒のお茶は?」
「そんなもん、もうない」
弟が肩からかけたビニールの水筒は、歩くとちょうど腿に当たって空虚な音をたてている。
「しょうがないな、ほら」
オレの水筒を差し出すと、残り少ないお茶を弟は遠慮なく飲み干した。
「もっと欲しい」
「ないよ」
「ノド乾いたもん」
「オレの分まで飲んだくせに。家につくまで我慢しろよ」
父の仕事場まで、弁当を届けた帰り道だった。
初めて母にお使いを頼まれて、意気揚々と出かけたまでは良かった。こんなお荷物がいなければ、もっと早くに終わっていたことだろう。
あぜ道でバッタを捕まえ、雑木林では蝉を追いかけ、到着時間が大幅に遅れたのも、帰りがこんなに遅くなったのも、全部こいつのせいだ。
「疲れたよ」
突然、路の真ん中で座り込む。
「バカ、そんなとこ座ってたら邪魔だ」
手を握ったまま道端まで引き摺ってくると、今度は恨めしそうに睨んでいた。
「おんぶして」
「やだ」
「もう、一歩も動けない」
膨れたら誰でも言うことを聞いてくれると思っているようだ。
「置いていくぞ」
「兄ちゃんのバカ」
「勝手にしろ」
「勝手にするもん」
手を離して、振り返ることなくオレは帰路についた。
坂道を下り、大通りに出て、信号を渡り、ふと振り返る。
通りに人影はなく、熱気でゆらめく陽炎が道路の上で踊っていた。
しばらくその場に立って、もと来た道を眺めてみるが、何かが近づいてくる気配もない。
静かな風景に生暖かい風が吹き、蝉の鳴き声が遠くから響く。
途端に言いようのない不安にかられて、オレは弟を置いてきた場所まで早足で向かった。
上り坂は緩やかだが、急いでいるのと暑いのとで、一気に駆け上がると息が苦しかった。
坂の上でいったん立ち止まり呼吸を整えてから、周囲を見渡すと、手を離して別れた場所で弟は暢気に座っていた。
歩いて近づくと、すぐにオレを見て「兄ちゃん、ほら」と握っていたバッタを笑顔でオレの前に突き出した。
「うん、良かったな。帰るぞ」
手を差し出すと、今度は素直に立ってオレの手を握った。