第24期 #29

あの日のバスはもうこない

 誰もいない。私が用足しに行ったほんのわずかな時間のうちに、先程までそこに停まっていたはずの観光バスの姿はなくなっていて、ひどくがらんとした駅前には、犬一匹いなかった。これではまるきり置いてきぼりの除け者ではないかと思うも、格別怒りはなく、厭々参加した慰安旅行の結末など、こんなものだと妙に納得していたりする。それにしても列車で延々と移動したあげく、薄暮も迫るといったこんな時間にバスに乗り込むなどというのも妙な予定で、一体全体どこに向かう予定だったのか、手渡された旅のしおりなどろくに見はしなかったからよく解らない。解らないといえば、ここが何処かもまるで解らないでいて、駅前に案内板の一つも掲げておらず、妙に広い操車場の向こうには、この程度の街ならば、どこにでもあるような少し寂れた商店街があるばかりで、特色というものがまるでない。何にせよこんなところまで来て、すごすご引き返すのも癪だったから、朱に染まりつつある商店街の方へと足を踏み入れることにした。
 人気がまるでないことを除けば、どこにでもあるといった風の商店街は、しかし、何故だか妙に懐かしい気がして、何か見覚えがあるものがありはしないかときょろきょろとするのだけれど、どうにも曖昧で、脳味噌を薄皮で包まれたみたいで、気持ちが悪い。街はどんどんと暮れて往きぽつりぽつりと街灯が燈り始める。
 八百屋の前を通ると店の親爺が「瑞々しい白桃が美味しい季節だよ、どうだい一つ」などと声をかけて来て、ほう、もうそんな時季かと思うも、もとより白桃の美味しい季節など知りはしない。金物屋を通り過ぎた時、不意に名前を、しかも母親に名前を呼ばれた気がして、振り返ってみるも、死んでいるのか寝ているのか解らないような老婆がちょこんと煙草屋の店頭に座っているだけで、私の母親はまだあれほど年老いてはいない。昔見た古い映画にこんなシーンがあった気がして、いやあるいはもしかしたら自分こそが今そのスクリーンの中にいて、それを眺めている大勢の見知らぬ誰かがいるのではないかと、そんなことを思うのは一体全体何の錯誤だろうか。
 いつの間にか商店街は途切れ、小さなバス停の前に、煌々と明かりを灯した町バスが、私が乗り込むのを待つように扉を開けていたのだが、何故だが躊躇われて、何かにすがるように振り返ってみるのだけど、そこにはぬばたまの闇があるばかりで、何もない。



Copyright © 2004 曠野反次郎 / 編集: 短編