第24期 #13
ハルキの母親はハチミツ工場で働いている。だいたいハチミツには5000とも10000ともあるいは1億ともいえるくらいの種類があり、工場ではそれらを混ぜ合わせたり、溶かしたり、煮詰めたり、型に流しいれたり、固めたりして、自動車や冷蔵庫やトラックや飛行機をつくっている。
2歳のハルキは母親が工場で働いていることを知らない。ハルキが1歳半になった時、家にいるのに疲れた母親は外に仕事をもとめたのだった。
毎朝、母親の運転するハチミツ色の自転車に乗って、ハチミツ町でただひとつの保育園に行く。
母親の仕事は、ハチミツ管理倉庫で、膨大な数のハチミツのデータを入力することだ。それでも時々倉庫に行って、在庫を確認したりもする。ただしそれはハチミツではなくてデータを入力する白い紙だ。
母親は炉の中を流れるハチミツを見たことがない。
ハルキは小学生になったらきっとハチミツ工場を見学に行くだろう。
風の強い日は、町全体が甘い香りにつつまれる。暑い日にはねっとりとして、体にからみついてくる。
汗と空気中を流れるハチミツの粒子をかきわけながら自転車に乗って、今日も母親はハルキを迎えに行く。
「かーかん」
後部にとりつけられた座席から息子が叫ぶ。
「なに」
「でんちゃーーきたーーー」
ハチミツ色の電車が線路を通り過ぎていく。
母親はまだ母親でなかったとき、かつてこの電車に乗って遠くの街へ行き、大きな会社に勤めた。たしか自動車をつくっていた会社で、そのまえは、電気をあつかっている会社だった。
「ばいばーーーい」
ハルキは電車に向かって手を振る、それから言うのだ。
「ちゃった」
過ぎていったハチミツ色の電車を振り返ることなく自転車はただ走り続ける。
改札口で見送られたあの日、踏切の向こうで手を振るあのひと、黄色い電車を次々と遣り過ごしながら話したホーム、おなじ電車に乗るために待っていた時間、みんな溶けてハチミツ色の空に流れていく。