第235期 #3

二月十四日

 あのひとは、薔薇をくれた。赤い薔薇。セロファンにくるまれた、一輪の。花が、ほんのすこしうつむきかけているのは、くれたのが夜おそくになったからだろうか。買ってからどれくらいの時間が経っていたのだろう。

 今日は、わたしの誕生日。不要不急の外出は避けるようにとテレビで言っているから家でささやかなお祝いをすることになっていた。わたしよりも料理のうまいあのひとは、わたしの大好きなラム肉を取り寄せていて、キッチンには摘みたてのミントの香りがただよっていた。ミントソースは手づくりするのがあのひとのこだわり。プランター栽培だけど、いつか家を建てて、小さな庭でいいから家庭菜園でハーブを育てようねと言っていた。

 え、バレンタインデー生まれなんだ、とあのひとは言った。好きなんだと話したことも忘れていた洋菓子屋さんの箱とわたしを見くらべて、じゃあ来年からはチョコの他にもプレゼントさせてねと笑った。それから毎年、あのひとは約束を守ってくれた。指輪をくれたのは、何回目のバレンタインだったっけ。わたしがアクセサリーに無頓着なことは知っていたから、チョコレートで指輪を作ってくれた。宝石のかわりに小粒の苺を乗せて。ボウルに残ったチョコレートにミルクを入れて温めて、ふたりぶんのホットチョコレートを作って、ふたりで飲んだ。飲みおわってからわたしが逆プレゼント、と記入済みの書類を見せて、そうして、ふたりで役所に行った。

バレンタインデーには喧嘩をしない。その前までしていても、日付が変わるまえに仲直りする。それが、あのひととわたしとの約束。あのひとは、それをずっと守ってくれている。そしていまも毎年、プレゼントをくれる。今年のプレゼントは赤い薔薇。セロファンをはがして、一輪挿しにそうっといれて、かたむいた花にほんのすこし困ったような顔をしてから、一輪挿しをくるりと回して、花がわたしの写真のほうを向くようにしてからそっと、手を合わせた。



Copyright © 2022 吟硝子 / 編集: 短編