第234期 #2
イライラしたので、あえて口角を上げる。さらに上げる。限界まで上げる。そして眉間にシワ。なるべく、いかつく。気分は鬼だ。この状態で上半身を固定して速足で廊下を歩く。人影なし。よし。そのままトイレの目隠しの壁を直角のターンでかわす。アン、ドゥ、トロワ、カトル、個室にイン!
いろいろスッキリして個室を出ても足りずにもう一回。アン、ドゥ、トロワ、カトル。いい!
「わっ」
人がいた。部署の先輩である。心の私は天を仰ぎ、肉の私は冷徹な仮面で通り過ぎる。マスクもしてるし大丈夫。
しかし声が反転して追いかけてきた。
「ちょっと、その顔何」
「何でもないですよ」
「何でもあるでしょ。鬼みたいな顔してたよ」
「してません」
「もう一回」
「見せません」
テクテクテク。スぺスぺスぺ。ついてくるぞ。なんだその足音。今だ出番だ、火を吹けストーカー規制法!
「よし、定時後、顔貸して」
「私はアンパンマンじゃないんですけど」
定時後、会議室でコーヒーを奢られながら、先輩の話を聞く。
「というわけで、今回のコンペは、この『怒り心頭、怒りのデスコケシ』でいく」
メモ用紙には、長方形の上に少し泣き笑いのいかつい顔が乗った人形のラフ。
「はあ」
先輩はニコニコして言う。
「一応、モデルの了解を得ておこうと思って」
モデル?
「いいよな。一応、お前のアイデアということにしとくから」
「いや、それはいいです」
「遠慮するなって!」
バンバン肩をたたきスぺスぺスぺと去っていく。
何か、生きている次元が違うな。
帰りながら、名前はデスコケシより、鬼ごけしの方がいいだろうと思った。
あとは先輩のうっすいスリッパはどこかの施設で盗んできたんじゃないかとか、そういやアンパンマンも顔を貸しはしないなとか。
コンペには落ちた。
残念飲み会も、まあ時世柄、皆さっさと帰途についた。
私は、駅まで先輩と二人だ。
「残念でしたね」
「まあ、最初から出来レースだしな。悔しいというか虚しいというか」
「そうなんですか!」
「そんな驚くなよ……よくあることだろ」
私が驚いたのは、そのために彼の割いた時間や熱量、そして小型太陽のような彼もこんな風に曇ることがあるのだということ。
「そういうときはですね」
私は彼にレクチャーする。
二人、迷路のような地下通路で、直角のターンを決めていく。マスクもしてるし大丈夫。
アン、ドゥ、トロワ、カトル……サンク、スィス、セットゥ、ウィット……。