第23期 #22

お金の話

 二つ折りの札入れには、外側から、万札・五千円札・千円札の順にまとめて入れておく。一回り大きくて、落ち着いた茶色の万札には、風格がある。
 何があっても大丈夫、という漠然とした安心感は、この諭吉氏の頭数によって支えられている。実際は何が大丈夫だか判ったものではないが、しかし人は平生そんな根源的な不安まで、思い詰めてはおらぬものである。
 さて札入れを開いてみると、奥の方に鷹揚な茶色が見えて、ああ、居たかと思う。さらに重なった札をかき分けてみれば、今日はどうしたことか、千円札の間からまだ思いがけず、一枚また一枚と顔を出す。青緑色の苔の間から、つぎつぎと茸や木の実が見つかるような具合である。
 嬉しくなってなおも探しているうちに、気がつくと、布団の外は朝になっていた。
 どうしてこんな夢を見たかと考え、すぐに思い当たった。前の日、街へ行ってお金をつかいすぎたからだ。
 春から新しい学校にかわって、しかし穴うめ教員の悲しさには、持ち時間とともに実入りもすくなくなった。辞令には、
──月手当90,560円を給する
とあって、およそこの稼業をはじめて以来のとぼしさである。
 しかしよくしたもので、新しいつとめ先は辺鄙な山奥にあって、お金をつかう宛てがない。去年までの学校は街の中で、毎日帰りに書物を購ったり、カフェで一ぱいやったりしていたのが、今年はいっさい出来なくなったので、お金はかえって出て行かなくなった。
 それはいいが、日々しずかな山の中でばかり暮らしていると、しだいに寂しくなって来る。それで街に出て行くと、まとめてお金をつかう羽目になる。
 この日はまず、街あるき用の自転車を置いてある駅前駐輪場へ寄って、預かり賃を払った。三ヶ月ぶん2900円。
 それから藤崎百貨店へ行って、沖縄展でちんすこう二袋買う。1050円。
 金港堂を覗いたら、ちょうど岩波講座「文学」の「別巻・文学理論」が一冊残っていた。3570円。
 一番町四丁目のセブイレに取り寄せていた、教員試験用の問題集。1890円。
 併せて諭吉一人分くらいが一日で出ていったような訳で、無意識の底にもぐり込んでいた喪失感が、夢に出て来たらしい。
 痴呆老人が、お金を盗まれたなどと妄想を垂れ流すのも、ひと事でない。今はまだ夢だからいいが、いつか蛇口が弛んで現実に漏れだしたらと不安になる。しかしそれもその時になっては、どうしようもない事であろうか。



Copyright © 2004 海坂他人 / 編集: 短編