第23期 #21
最近物忘れがひどい。昨日は仕事帰りに本屋へ寄って、車を忘れてきてしまった。
「普通わかるでしょ、自分がどうやって本屋に来たか。鍵に気づかなかったの」
「鞄に入れてたんだけど、入れたこと忘れてた」
小学生の娘にあきれられた。本屋から家まで歩いて30分はかかるのだ。
「明日会社に行って、人の車に乗って帰んないでよ」
「大丈夫よ、それほどぼけちゃいないわ。それに車にはたいてい鍵がかかってるでしょ」
娘のきついジョークを笑い飛ばしてみたが、娘はやれやれという風に肩を落として、台所に戻った。温まった鍋から味噌の香りがしていた。
物忘れがひどいだけでなくて、私は時間の進み具合も計りかねていた。仕事帰りに本屋で2時間なんてあっという間だ。
「中学受験もあるのに、紀代子さん、どこふらついてるの」
隣町に住む義母が、毎日のように家に来ていた。夫の転勤で初めて実家に近いところに暮らす事になり、義母も嬉しいのだ。
「今時は小学生だって生きるのは大変なんですよ。しっかり見てあげないと」
「おばあちゃん、毎日心配しなくても、私パパの子供だもん」
これ以上私に干渉しないでねという軽い前置きでもあっただろうが、私にとっても頼りになる一言だった。義母の嬉しそうな顔に、たまには断るということもできずにいたからだ。
本屋の帰り、カンナの生い茂る道を歩いていた。梅雨入り前に根元から切られていたものだった。茎は赤ちゃんの手首ほどもあり、幾重にも連なった葉の先に深紅の花が咲いている。背丈は私をはるかに上回っていた。立ち止まって赤くいびつに膨らんだつぼみを見ながら、今日は歩いて家を出たのだと確認する。雨が降りそうだったから今朝傘を持って出たのだった。が、手に傘がないことに気づいて本屋に引き返す。自動ドアが左右に開いて、昨日車を置いて来た事も思い出した。目当ての傘を持ち、駐車場に車を探した。雨が降り始めた。車はとうとう見つからなかった。
「盗難よ、きっと。警察に届けた方がいいわ」
家に着くなり、玄関から大声で告げる。娘が笑いながら、台所から顔を覗かせた。
「ママ、車はもう届いてるから」
親切な方もいるんだなと靴を脱ぎ
「今日、お義母さんは?」
と尋ねる。
「お義母さんはしばらくお留守だそうよ」
旅行にでも行ったのかしら。そう言おうとした私の横を女の子がふたり通り過ぎた。
「おばあちゃんどこ行ってたの」
「もうご飯よ」
甘い味噌の香りが鼻をくすぐる。