第226期 #5

狩人

 俺を見ろ。一発で楽にするから。

 俺はお前を畏怖している。だがお前は神ではないのを知っている。熱い呼吸が繊細なお前の命を生かしている。ただ生きようともがき、お前は走り続けている。お前の足跡を、俺は猛烈に追いかける。

 お前のことを教えてくれ。その深い瞳で何を見て来たのかを。その小さな耳で何を聞いてきたのかを。何が前をそこまで大きく育てたのかを。毛深い逞しい四肢が何を捉え、何に傷つき、何を傷つけてきたのかを。俺は何も知らないお前のことを知りたい。

 水溜りを駆け抜けた足跡が乱れている。その先に糞尿が撒き散らされている。お前は焦り、混乱しているのだ。糞の中身は青々とした蕗。お前の腹はまだ森の中だ。

 ヘリからの情報が入る。お前はコンクリート三面張りの水路を渡り、南へ向かっている。先回りのルートはすぐに浮かんだ。お前を死に追い込む動線だ。俺はすぐにジムニーに乗りアクセルを踏む。躊躇はしない。

 再び俺はお前を捉えた。波打ち躍動する背中。川の中を歩いてきたから、お前は気づかなかったのだろう。蕗を食み、鳥と遊んだ森の中から、もう随分と離れてしまった。お前は認めたくなかった。突然目の前に現れた獣をお前は拒絶し、薙ぎ払った。何の罪もない通りすがりの人間だろうが、お前は薙ぎ払ってしまったのだ。

 お前は広い茂みの中に入る。もう周りに人気はない。ああ、今日はとてもいい天気だ。お前が逃げ込んだ茂みは生き生きと揺れる。お前の最期の場所だ。俺は車を降り、ライフルを携え、祈りながら茂みに近づく。

 俺を見ろ。

 目の前に閃く大きな黒い掌、爪。

 お前の殺気で、俺はその光景を鮮明に描くことができる。俺は何度でも殺される。白昼夢。その度に怯みそうになる。お前の命が俺に重なりそうになる。生きていたいと思う俺に等しく、お前にも生きて欲しいと願いそうになる。

 せめて最期まで精一杯生きることを、俺は祈る。目標が定まる。銃を構えた俺の前には、もうお前しかいない。

 茂みの中から、二つの黒い瞳が煌めく。視線が俺とお前を結ぶ。凄まじい殺気、その先に俺は見つけ出す。怒り、不安、恐怖、驚き。そのさらに向こう。お前が生きてきた時間が爆縮する瞬間。衝撃、轟音。再び煌めいた瞳は、ゆっくりと茂みの中へ消えていった。



Copyright © 2021 霧野楢人 / 編集: 短編