第225期 #7

ヤシの実スリッパ




足裏にさらりと触れる。心地よかった。
ヤシの実の繊維を貼り付けたスリッパの内側。
「きもちいい」
洗い髪をタオルにまとめた彼女は呟いた。


ここまでくるのにどれほどの時間を要したであろう。

俺は彼女に振られて絶望の淵にいた。
ようやく叶った南の島での旅行先でだ。
ホテル近くのビーチで振られた俺はよろよろとヤシの木にもたれかかった。
このまま消えてなくなってしまいたいと思った。
そのとたん、俺は消えてなくなった。
正確には完全に消えたわけではない。
俺の視界には海が広がっていた。
さっきまで見ていた海だ。彼女の肩を抱いて一緒に眺めていた。
そのとき彼女がおならをしたのだ。緊張したのかリラックスしすぎたのかは知れない。だけれど、思わずくせえと笑ってしまった俺に彼女は平手打ちをかました。そして別れると言いおいて去っていったのだ。
モテモテの彼女のプライドは海よりも深く山よりも高かった。

俺は彼女を本当に本当に好きだった。
どんな形でもそばにいたかった。
だけれど、俺は消えた。消えて、そして。
「あら、これもよさそうね」
女性の声が聞こえて、ぶちりと俺はもぎ取られた。
大きなかごを持った女性がヤシの実を集めていて、俺もころりとかごに入れられた。
そうか、俺は消えて、そして。
そのとき目の前にあったヤシの実になってしまったらしい。

そのまま俺はどこかの工場に連れて行かれた。
半分に割られてジュースと中の白い果肉をすくい取られた。
皮だけになった俺はさらにそぎおとされ、きれいに洗われ陰干しされてすっかりただの繊維になって、丁寧に編まれてスリッパの内側に縫いつけられた。
そうして出荷されて日本語の飛び交うデパートに並んだ。自然派化粧品売り場の一角のそこには「ヤシの実のスリッパはいかが」と書かれていた。
そこで何日かぶらさがっていると、彼女がきた。
「あ、これいいかも」
ぷちりと俺を壁から救いあげ、買い物かごに入れた。

そして今俺は彼女の肌に触れている。
視界いっぱいに風呂上がりのピンクのかかとがあった。
夢にまで見た彼女の部屋、そのすみずみまで連れて行ってもらえる。
彼女のそばにいられるならどんな形でもよかった。
幸せだった。
やがて夏がすぎ秋がきた。
「もうそろそろ寒いし、これもよく使ったなー」
彼女はヤシの実スリッパをぽいとゴミ箱に入れた。



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