第225期 #5
戸村智宏が自身の異常さを自覚したのは八歳の頃だった。
小学校のクラスで飼育していたハムスターが死んだ。原因は共食いであり、凄惨な血塗れのケージを前に級友達は泣き、はしゃぎ、嘔吐する者まで出る始末だった。
そんな喧噪の中、智宏は彼等の様子を不思議そうに眺めていた。
ハムスターが共食いで死んだ――それだけのことに、何故、皆がそこまで感情的になっているのか理解出来なかった。
彼は単純な疑問から、それを級友達に問うた。
「ハムスターが死んだだけでしょ?」
瞬間、教室がシンと静まりかえった。戸惑いを含んだような視線が、一斉に彼に突き刺さった。
幼いながらに、智宏は理解した。
彼等と自分では、事象の捉え方が違うのだと。そして、それは異常なことなのだと。
幸いにも、智宏は頭が良かった。自身に欠落したものが<共感力>であると知った彼は、それを補うべく、級友達の挙動を注視するようになった。
どういった時に、人は喜び、怒り、泣き、笑うのか、それらを学んでいった。知識や技術として。
中学、高校と進学していく中で、智宏のそれは磨きがかかっていった。共感力の欠落は誰にも見破られず、感情を研究する内に、彼は相手を喜ばす術を身につけていった。
何時しか智宏は人気者を演じるようになった。その方が何かと都合が良かったからである。
人に好かれたいとは思わなかった。そもそも「好き」という感情が解らない。
大学を卒業した後、一流企業に就職した智宏は、28歳の時に結婚した。それが普通なことだと判断したからだ。
相手は上司の紹介で知り合った女性だった。
彼女を伴侶に選んだ理由は、特になかった。強いて言えばタイミングが良かっただけである。愛情など欠片もなかった。
妻は気の利く女性だった。何でもこちらが言う前に、察してやってくれる。だから彼女が喜ぶ言葉を何度も囁いた。本音では便利程度にしか思っていなかったが。
やがて時が経ち、子も生まれ、順調に彼は歳をとっていき、ついに最期の時が来た。
見事なまでに理想の男を演じてきた彼だが、最後の最後で、寄り添う妻に、言う必要のないことを言ってしまった。
「今までありがとう。君を愛していなかったのに」
妻は静かに微笑んで、応えた。
「どういたしまして。私も愛していなかったけれど」
それを聞いた智宏は、ただ、小さく頷いた。
「君は上手だったな、僕よりも」
それが、彼の臨終の言葉だった。