第225期 #4

ようそろ

 昨日までの私が馬鹿みたい嘘みたい。朝起きたら、死ぬほど悩んでいたことが、何も解決されないままに、イライラだけが、きれいさっぱり消えていた。
 暗いトンネルが終わらなかったらどうしようと悩んでいた私、さようなら。こんにちは、新しい私。ブラトップを裸の上半身に滑らせながらふと思った。でも私が感じていたストレスって、いったいどこにいっちゃったの?

「お答えしよう」
「あなたは?」
「私は宇宙船地球号の船長」
「宇宙船地球号の……船長?」

 寝室から聞こえた声に振り返る。突然現れた不審者に叫び声を上げることも忘れて、私は馬鹿みたいに鸚鵡返しをした。

「ストレスとはなんだと思う」
「今この状況がまさにそうよ」
「そういうことではない。ストレスとは力のことだ」
「知ってるわよ」
「では力とは何だ」
「何かを変えようとする……動力?」
「そうだ。具体的にはこれのことだ」
 船長は私の枕の下から紫色のゴムボールのようなものを取り出した。見るからに強い弾力と光沢がある。
「これはお前が昨晩までに溜め込んだストレスだ」
「これが、私のストレス……」
「おっと、触るな。また灰色の絶望を味わいたいか?」
 私は伸ばしかけた手を引っ込める。船長は左手を私に広げて制したまま、右手で私のストレスを揉み始めた。その手つきがどうにもいやらしく、私は胸を隠しながら船長をにらみつける。

「そのストレスをどうするの」
「まずもって地球を物理的に回転させる動力として使う。その上で、余剰のストレスはさらにストレスを生み出すために使われ、経済を回し、紙幣を刷り、生産し、消費する」
「じゃあ私って、宇宙船地球号の乗組員ではなくって」
「そう、乗組員ではなく、燃料だ」
 そう言うと船長は私のストレスをむしゃむしゃと食べ始めた。あっと声を上げるまもなく、船長の鋭い歯は私のストレスを噛みちぎり、瞬く間に飲み込んだ。
 呆然とする私に「じゃあな、ストレスがたまったらまたくる」と言うと船長は消えた。残された私はガラスのない窓枠のような、底のないコーヒーカップのような、目的語のない他動詞のような気持ちで立ちすくんでいたが、はっと足下を見ると、そこにはたった今生まれた私の小さなストレスが鳴き声をあげていた。可愛い私のストレスちゃん、私はあなたを飼い慣らし、芸を仕込み、船長の次の襲撃に備える。船長、次は私のストレスちゃんがあなたののど笛を掻き切るわ。覚悟していて宜しく候。



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