第224期 #5

あふ、あふれ、あふれて、

 ゴバン、ノ、バンゴウフダ、ヲ、オモチノカタ、ニバン、ノ、マドグチマデ、オコシクダサイ
 
 窓口から左手を挙げながら「5番の番号札をお持ちのお客様ー」と待合室を見渡す私は名前を斎賀由美といって、窓口業務は四年目の二十六歳、自分で言うのも何だが白い肌が自慢で、暗い紺の制服姿は支店内で一番似合っていると思う。ぴんと肘から先まで伸ばした指先には淡い光沢のマニキュアが蛍光灯を跳ね返して光り、同じく蛍光灯はポニーテールの頭を円く照らしているはずだ。
 挙手の姿勢はそのままに、首と目を動かして待合室をもう一度ぐるりと見渡すが、宝くじの当選番号を確認するように私の顔と手元の番号札を見比べて知らんぷりをするおばあさん、変にどや顔で私を真正面から見て首を振る青年と中年の間の男性以外には誰もおらず、伸ばした手を下げようとしたとき
「俺、俺だ、俺だよ」
 と完全に死角から5番の札を差し出しながら男が席に着いた。一瞬驚いた私はしかしそれをプロ根性で隠して
「失礼しました。本日はどのようなご用件でしょうか」と笑顔を崩さず男に尋ねた。
「俺なんだけどさあ、俺俺、分かる? 俺俺」
 さあ困ったことになったなあと私は二つの可能性を頭の中で走らせた。脳の一部は過去関わりを持った男性を洗い出し、コンマ二秒、こんな男性は知らないぞと結論づけた。三十前半、チェックのシャツに無精髭、メガネの奥には目やに、少し優しげな目つきといえなくもないが、まあ知らない顔だ。脳のもう一部分はさらに飛躍をし、よくある特殊詐欺事件の亜流? 俺俺詐欺? でも本人が窓口来るのおかしくない? にわかに緊張感がはしり、下げた手をテーブルのしたの緊急呼び出しボタンに添えたとき、フル回転する脳の間からぽろりと子猫が一匹こぼれ出た。これは、これは、昔飼っていた猫だ。もっちゃん? 名前を呼ぶと子猫はにゃーん。と鳴き、そこからねずみ算、いや猫算式に頭の中でもっちゃんが増殖し始めた。目の前の男、よくよく見れば、体つき、もっちゃんっぽい。机の上で丸めた手、もっちゃんっぽい。ああ、もっちゃん、もっちゃん、今はもういないもっちゃん、もっちゃんもっちゃんもっちゃん、こんなところにいたんだね、
「もっちゃん?」
「違うよ。誰だよもっちゃんって。東谷啓介だよ。お前の又従兄弟の義理の弟だよ」
 誰だよそれ。遠すぎてそんなやつ知らないよ。知らないにゃん。



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