第215期 #8
柱の奥から顔を出したのは、つりあがった目にピンと立った長いかぎしっぽの生き物だった。そいつはこちらを見つけるとにゃんと鳴いてどこかへ行ってしまった。
2人(正確には1人と1匹)で暮らすアパートは実を言うと動物を入れてはいけなかった。ただ、アパートの契約の時から6年間、管理人と顔を合わせたことは一度もなかったこともあり、茂みの奥に置き去りにされたその姿が情けなくてそのまま拾い上げて連れて帰ってしまった。
僕はもともと動物は得意ではない。小学校の頃にクラスで育てていたウサギは僕だけを噛んだし、隣のお宅のでっかい犬は絶対的な権力でもあるかのように僕らの町を徘徊する「お犬様」で、人間だったら飼い主に唾でも吐いていただろう眼光鋭い犬だった。今は代表的な例を上げたけれど、僕の人生には動物を一緒に暮らすことをよしとする理由は見当たらなかった。
そいつを拾ったのは何の気の迷いだったのか今でもよくわからないが、今の生活は嫌なわけではなかった。同棲でもルームシェアでもなくドミトリーに宿泊という感じ。同じ場所でお互いがそれぞれお互いの生活を送っている。もちろんエサや糞の世話はしているけれど取るにたらないことだ。それ以上は干渉しない。そして、ちゃんとその部屋に息づいている誰かの「気配」があった。その関係は僕にとって心地よいものだった。
だがある日、そいつはいなくなった。
家のどこを探しても見当たらない。声をかけてみても返事もない。いつも心の片隅で感じていた「気配」が家の中にぽっかりと穴が空いたように無くなっていた。
僕は靴を履き、外に探しに出た。名前を呼びたかったがあいつには僕がつけた名前はない。くそっ、何やってんだ。名前ぐらいつけてやればよかったじゃないか。もしもこのまま…?
僕は後悔の念を拭いきれないまま、町中を走り回った。近所の公園、商店街、学校。干渉しない生活に慣れていた僕はあいつの行きそうなところなんて当てがあるわけがなく、しらみつぶしに町を探した。街行く人にも声をかけたし、見かけたら教えて欲しいと連絡先を渡したりもした。
万策尽きて家に帰ると辺りは暗くなっていた。すると、洗濯機の陰から何の気なしにそいつが現れた。
僕は思わず涙が出た。どこに行ってたんだよ!めちゃくちゃ探したよ…。
きょとんとしたその瞳は暗闇を吸い込んで真っ黒に光っていた。
「おかえり。」
その日僕は、そいつに「よる」と名前をつけた。