第21期 #9
給料の三ヶ月分というが、いったいどれ位の所得の人間までが対象なのだろうか。と聡はふと考えた。
ショーケースの中に並ぶ指輪を遠慮深げに覗き込み「やれやれ」と口の中で呟いて小さく溜息をつく。きらきらと光るわっかの端には、普段はあまり御目に掛からない金額の値札がぶら下っていた。
店内を見回しても客の姿は疎らだ。そうそう売れるものではないだろうから当たり前といえば当たり前なのだが、人が少ないと反って緊張する。
「婚約指輪をお探しですか?」
若い女の透き通った軽い声だった。聡は不意に声を掛けられて動揺したが、緊張で強張った顔に作り笑いを浮かべて振り返った。
「ええ……そうです」
聡がしどろもどろと答えると、彼女は笑顔で言葉を続けた。
「ご予算はどれ位ですか?」
聡は少し戸惑った。もちろん本音は安い方がいいが、建前は給料の三ヶ月分だ。強張った作り笑いは苦笑いに変わっていた。足も竦んでいた。
「三〇万くらいの予算で……足りますか?」
聡は問いに答えるつもりだったが訊き反す形になった。本音と建前。不意にでた言葉は本音の方だった。
彼女は真剣な面持ちで考えていたが頷いて口を開いた。
「予算は足りると思います。お手頃な価格の物でしたら、二〇万円位でも充分気持ちは伝わると思いますし……」
「う……」
聡は左足に軽い痺れを感じて声を漏らした。彼女は「大丈夫ですか?」と聡の顔を心配そうに覗きこんだ。
「あ、足が……足が攣りました」
聡が真顔で答えると、彼女は唖然とした表情をみせたが、すぐに状況を察したらしく声を殺して笑いはじめた。
「ここに来てから、ずっと緊張してたんで……すみません」
聡は痺れが治まるのを待ち改めて頭を下げた。彼女はずっと笑いを堪えていたが、結局は堪えきれずに声をだして笑った。
「あ、すみません」
彼女に頭を下げられて、聡は反って恥かしくなった。 先程までの緊張感はどこかに消えていた。
「さっきの続きですが予算はどれ位が普通ですか?」
「はい。えと、指輪は気持ちですから金額ではないと思います」
彼女の言葉を聞いて、聡は大切な事を忘れていたと気がついた。
「すみません。よく考えてまた来ます」
聡はそう言って頭を下げた。彼女は小さく微笑んで「はい」と答えた。
聡は店を出た。ぼんやりと歩きながら深呼吸をする。
考えてみれば金額なんて幾らでもよかったのかもしれない。
大切なものは、その先にあるのだから。