第21期 #13
緑郷館に着いた時には日が暮れ、小雨が降っていた。輪郭を闇に同化させた館の窓のひとつから、黄色い明かりが漏れていた。宏はそっと歩み寄り、中を覗き込んだ。
座敷の中央にちゃぶ台が置かれ、夕餉が並んでいた。正面にエプロンをつけた伊佐夫が見えた。彼はおひつから飯を注いで皆に手渡していた。右隣に正也が、左隣に青希が、そしてこちらに背を向けてこの家の女主人が座っていた。暖かい湯気に包まれて、彼ら四人は家族に違いなかった。
庇の樋から雨水が漏れて、ぽたり、ぽたり、と宏の首筋に落ちてきた。上着はここに来るまでにぐっしょり濡れていた。今まで気を逸らし意識から追い払っていた事実の痛みを、宏はついに自覚した。
自分がこの緑郷館の人たちを追い出す算段を続けてきたのだ。誰より自分こそがそうしてきたのだ、そんなことはちっともしたくなかったのに、自分の意志ではないと気付いていたのに。そして知覚がなく判断もない社会のせいにして自分はその裏に隠れているつもりで、それというのも安全のためであり、自分を守るためであると信じてきたが、それこそが最大の欺瞞であり、事実はただ自分自身で自分というものを知覚のない死の世界へ押しやり続けていたのだ。
宏は玄関に回り、しばらく佇んでいた。中に入ることができず、その横に尻を下ろし膝を抱えて俯いた。そうして小一時間もじっとしていただろうか。引き戸が開いて、伊佐夫が顔を出した。
「やあ、こんばんは。今日は冷えますね。さあ、中へ」
伊佐夫に手を引かれ居間に入った。だるまストーブに火が入り、その横に老犬が寝そべっていた。ストーブの傍の椅子に座り正面を見ると、長椅子に正也が寝転んでいた。
「私はあなた方を追い出そうとしていましたよ。この家を取り壊そうとしていたんですよ」
「くだらないことばかり言ってますね。あなたに何ができるというのです」
正也はくるりと背中を向けて、長椅子に顔を押し付け目を閉じてしまった。
この部屋の中のたたずまいとまるで無関係に、日没の赤い色が宏の頭の中一杯に広がっていった。それは子供のころ学校帰りに見た夕焼けだっただろうか。まゆみと行った旅先での風景だろうか。以前にこんな夕焼け空の絵画を見たことがあって、それが不意に思い出されているのだろうか。次第に暮れ行く青から紺の空に赤から橙へ微妙に色を変え層を成し空全体に広がっていく夕焼けの様子を宏は呆然と見詰めていた。