第21期 #11

私の坊や

 ――大変な事になってしまった――
 私の目の前には血溜りが出来ていた。暗い血がベットリ付いた包丁は私の手の中にある。
 実は一時間ほど前、私は息子と久しぶりに話していた。そして、大喧嘩になった。
 その結果、こんな事態になってしまった。
 確かに、私にも悪いところは有ったかもしれないが、もうそんな事はどうでも良い。私は遺書を書いていた。震える手は血に濡れ、それが分らないように、必死になって書いていた。『私は自殺します』……と。

『一樹、どうしてもっとシッカリしてくれないの?』
『っだからうぜぇっつってるだろ! 俺の事ほっぽり出しといて、いまさら何なんだよ!』
『頼むからちゃんとした所に……』
『何処に行こうがかってだっつってるだろ』

 私の息子はいつも馬鹿で……気が早い子だ。だから、こんな事をしたんだろう。息子は、私の事を一突きして、逃げていったのだ。
 しかし、これで良い。
 遺書は書き終わった。包丁は私が握り締めている。息子が私を殺したとは分らないだろう。
 後は、息子がこれを薬に、少しでも改心してくれれば、それで良いんだ。
 息子さえ無事なら。
 ガタン
 ――え……――
「おふくろぉ」
 かすれた目とかすかに聞こえる耳で分った。息子だ、息子が戻ってきた。
 一体、何をするつも……やめ、やめて……そんな、そんな馬鹿な…………あぁ、ああ!
 バタン
「おふく……」
 血の溜まりが増えた……傍らに倒れた息子から、ゆっくりと広がっていく。
 だめだ、だめなんだ。一樹は………………。

 四月二十四日、奇妙な事件があった。ある母親とその息子の自殺事件、そのうち息子だけが未遂となった。事件を通報した者は不明。声からして、中年の女との事だ。
 しかし、何しろマンション個室での事件。通報してきた中年の女が、一体、何処から事件を発見できたのか。しかも、もっと奇妙な事に、通報があったのは事件現場の部屋の電話から、という事だ。
 加えて、母親の発見時の状態。発見された時の母親は、硬く包丁を握り締め、心臓を刺していた。そして、何かを決心した様な表情をしていたらしい。
 これらの事実が何を語るのかを想像するには、刑事たちは忙しすぎた。しかし生き残った息子は、死んだ母親が自分を守るために通報した、そう頑なに信じた。
 そして、生き残った息子が、母親の願っていた人生を歩もうとする事は、目に見えて明らかだった。
 全て、母親の愛の結果だろう。


Copyright © 2004 優下月 / 編集: 短編