第205期 #4

いくらお金を積まれても

 命を買うということは、その人の永遠の時間を買うということ、愛を買うということは、その人の嗜好を買うということだった。お金をコントロールするようになると、次は時間、次は嗜好。あなたの一億五千飛んで四十六万三千六百二十回目の呼吸が今、黄昏れる某市の冷たくなる空気を少し暖め、震わせた。あなたは監視対象下にあるわけではないのだが、オンラインの自動入札システムにあなたはあなた自身を全面接続しているため、あなたの呼吸は音、温度、湿気など、考えられうる物理的パターンに分断され、それぞれに即座に金額がつけられ、即座に入札され、競り落とされていった。あなたの先ほどの呼気は10dBにも満たないものだったが、2.3で落札されて、呼吸が終わる前にすでに入金が済まされていた。まだ国籍があった時代には、通過単位もあったのだが、今はもう数字がただ一人歩きするのに任せて、あなたを増やしたり、減らしたりする。あなたの一億五千飛んで四十六万三千六百二十一回目の呼吸は、その音が少し大きく、「うれい」を少し含んでいたので、その背後にある物語を推察する好事家の気に入って、651で落札された。

 あなたは自分の呼吸を買ってくれた誰かに思いをはせ、自動入札モードにしている自分の購入履歴を見る。あなたはあなたの知るもの、知らないものすべてにアンテナを巡らせ、めぼしいものがあれば即座に入札し、無意識に購入する。あなたが今日購入したモノは、その種類だけでも天文学的な数字になる。暇なとき、と言っても今やあなたに暇とか、暇でないとかいう概念はないのだが、その履歴を眺めて、自分を構成しているモノに思いを馳せる。馳せた時点で思いは形を取り、即座に入札がされ、買い手と売り手のマッチングがされた時点で売買が成立する。

 昔のSF漫画のように、自分にケーブルを挿して、電脳世界に溶け込む人間もいなくはないが、それらの数は少ない。あなたを含め、ふつうの人間は、五感の情報をすべて間接的に差し出して己を保っていた。夜になれば眠くなる。あなたは横たわり、眠りに落ちる前、一時的に自身の全面接続を解除する。ほんの一呼吸。それ以上は孤独と不安で狂ってしまうだろう。ほんの一呼吸、あなたは息を吸い、
「ふう」

 吐く。世界のどこからも見えず、聞こえない、そのため息は、何の特徴もなく、引っかかりもなく、まっすぐに神のところに届く。呼吸がそのまま信仰になった。



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