第200期 #9

海から海へ

遠浅の海に足を浸しながら、ここにいるアサリの数を考える。広さを何平方キロと仮定し、などとフェルミ推定を使うよりも漁協に聞いたほうが早いのだろう。この海に棲みついている数より、潮干狩りのために撒いている数のほうがきっと多いのだ。水揚げが低迷するアサリのかわりに、遠い海のかなたから船底に付着してきたホンビノス貝が、この海の新しい名産品になっているのだと聞いた。ホイル焼きかクラムチャウダーにすると旨いらしい。

一昔前に採用面接で流行ったというフェルミ推定が実際にどんなものか自営業者の僕が知るはずもないから、もしも面接官を務める機会があれば、遥々とアメリカ西海岸から日本まで旅をしてきたホンビノス貝の気持ちを考えましょう、などと小学生向けのような質問を投げかけたい。何の能力を測るのかは分からないが。

西海岸の干潟に生まれ、暖かな海中を浮遊幼生として漂い、成長すれば干潟に再び沈着し、潮が引けば日差しに照らされて砂に潜り込む、その平穏な繰り返しだけで一生を終えるはずだった貝が、ふと現れた固いものにしがみつく。それが岩礁や護岸でなく船体だったために遠い外洋へ運ばれていく。深く冷たい海の上を進み、海流に揉まれながら海中の国境を越えていく、そのあいだに貝は何を考えて……といっても高度な意識も視力も持たない貝たちは、異存もなく異国の海にあっさりと慣れ親しんだのかもしれない。

遠浅の海に足を浸しながら考える。浮遊する稚貝たちが足にしがみついて、このまま僕が陸に上がれば彼らは干し貝になる。このまま海に足を浸していれば僕の足がふやける。このまま遠浅の海を歩いていけば、遠浅という言葉のとおりに遠い沖まで際限なく歩けそうにも思える。

稚貝たちと僕を外洋へ連れ出すような大きな船が、この干潟には乗り入れてこないのなら、かわりにカヤックでも浮輪でもいいから外洋へ、どこか遠くの海へ流されていき、どこかの見知らぬ干潟へ流れ着きたい。いや、思い返してみれば自分がいま立っている干潟が、いつか辿り着いた見知らぬ干潟なのだと気がついた。生まれる場所も暮らす場所も自分の意志では選べない、そんなのは貝にも人にも当り前のことだ。

海水に流されて稚貝たちは再び沖へ向かった。僕はもうどこへも向かわずに、子どもたちの待つ家へ帰る。砂から掘り出した大きな貝をいくつかビニール袋へ放り込む。ホイル焼きかクラムチャウダーを作って夕食にしようか。



Copyright © 2019 川野 / 編集: 短編