第20期 #26

ハレとケ

 佳也子がいつの間にか昼寝から起きて、畳に膝を突き、窓の桟に体を預け乗り出すようにして外を眺めていた。真上から少し傾いた陽の光が、佳也子の背から腰に覆い被さるように部屋の中へ雪崩れ込んでくる。
「これ、おやめ」
 七恵は奥の仏間で縫い物をしながら、足をばたつかせる佳也子を嗜めた。それでも佳也子の両爪先は尚緩く狂った調子を打ち続けた。
 佳也子が畳を打つ「たんたたん」という調子に、七恵はあらぬ方へ縫い筋を持っていかれそうになる。
「そんなしたら、畳が傷む」
 自転車が一台、家前の路地を通り掛かった。タイヤが乾いた地面を掴んでは離して行く音が、七恵のいる仏間にも漂う。
「かんぶつやのおじちゃんやぁ」
 自転車はそれに応えるように鈴を一つ二つ鳴らして遠ざかって行った。
 七恵は鈴の音色を耳に留めながら、針が布切れを潜り再び頭から浮いて出て来るのを瞬きせずに見詰めていた。
「佳也ちゃん、外に何かおるん」
 顔を上げたが、窓の外に何がいるのか七恵からは見えなかった。
「何がおるんかお母さんに教えてな」
 小さく弾けるような笑い声を上げながら、佳也子は窓外の何かに心を吸われているようだった。
「ちょっと、佳也子」
 寂しさと焦りの渦を喉元で凝り固まらせ、楽しげな佳也子の声に無理矢理割り込ませていく卑しさが、七恵にそのようなこわい声を出させるのだった。その苦さを押し込め染み込ませるように、七恵は一針一針縫い続けた。
 佳也子は今初めて気づいたように振り向き、「ねこがすずめをとろうとしてさっきからしっぱいばっかりしよるんよぉ」と屈託のない声で応えた。
 布切れに目を落としたまま、七恵は「そう」と聞き流す風であった。
 野良猫は舞う雀に馬鹿にされながら、諦めずに捕らえようとしているのだろうか。飢えて細った脇腹を精一杯伸ばして、雀に爪を向かわせているのだろうか。七恵は布切れの上に、窓外の見えない風景を投げ掛けていた。
「佳也ちゃん、もうお昼寝はええの」
「おとんがかえってくるのここでまつ」
 強い陽差しに、佳也子の表情も赤い寝着も白く塗り潰されて模糊としている。
 七恵は余った糸を歯で切り、ゆらりと立ち上がった。
「お父さんは帰ってけえへんよ」
 そう言いながら、縫い終わった滅紫色の布を仏壇の神鏡にそっと被せた。
 七恵は正座で少し痺れた爪先を、畳の上でとんとんと打った。
 佳也子は窓外から目を離し、七恵が打つ畳をじっと見詰めていた。



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