第20期 #25
仕事を終えて、車でやっと妻の実家についたときは深夜になっていた。まだ、家の明りと人の声が漏れている。
「喪主を誰にするかでもめているの」
出迎えてくれた妻の第一声だった。
義父が亡くなったのが今日。知らせを受けた近隣の親類が集まって、誰が言い始めたのかは知らないが、式のことで意見の対立があるようだった。妻には八つほど歳の離れた弟がいる。義母は私達が結婚した五年前には、もう鬼籍に入っていた。私にはもめるほどの選択肢はないように思われた。
翌朝になると、今度は葬儀の宗派でもめていた。本家が浄土宗、分家が浄土新宗ではおかしいと激論が交わされていた。まだ若輩の妻と義弟の意見などには耳も傾けない本家の年寄り達が、勝手に己の意見を主張しているように見えた。
散々もめた末、義弟が喪主となって本家の宗派にそう形で葬儀は速やかに行われた。
あれだけ口煩く難癖をつけてきた親戚一同は疲れたといって各々勝手に休んでしまった。
手伝いに来てくれた近所の人達へ頭を下げ、葬儀社と雑務を打ち合わせる。
妻一人が忙しく動いているなか、家の中に急ごしらえで作られた祭壇を前に、私と義弟は終始ぼんやりと座っているだけだった。
義父のお骨を抱いて火葬場から戻ってくると、またもや紛争の火種が持ち上がった。
どの墓にお骨を収めるか、ということだった。義父のたてた義母の入っている墓があるのだから当然そちらに、と勝手に思いこんでいた私は、「本家の墓」の大切さも今一つ理解できず、わざわざ分骨にしてまで双方の墓に骨を収める必要性がまったく理解できなかった。それでも、私が口を挟む話題でないことだけは自覚していたので、すべての話し合いを聞いているだけの姿勢に徹していた。
そんなこんなで初七日が終わる頃、妻は見るからに憔悴していた。ずっと他人事のような顔をしていた義弟も、連日続く親類との話し合いにはさすがに疲れているように見えた。
納骨も終わり、私達の自宅に帰る車中で妻が言った。
「私が死んでも葬式なんてしなくていいわ。家族の前でお坊さんにお経あげてもらって。お墓もいらない。永代供養がいい。盛大な葬式なんかしたら反対に化けてでてやるから」
「……別にいいけど。それよりも、悲しいときにはちゃんと泣いておいた方がいいぞ」
返答はなく、車中にはラジオの音だけが流れていた。自宅につくまでずっと車窓の外を眺めていた妻の顔を私は見ていない。