第20期 #24
愛犬を連れ、海へ散歩に出掛ける。久しぶりの散歩に犬は手綱を引きちぎらんばかりに興奮し、わんきゃん鳴き散らしながら私の周りをグルグルと回った。犬という生き物は、本当に可愛い。
海にたどり着く。春はすぐそこまで来ていた。海は未だ氷りづけのままである。波音は全く聞こえない。静かな、とても静かな海である。だが日は高く、風はぬるみ、実に気持ちが良かった。春はすぐそこまで来ている。
若者達が砂浜にドラムセットを組み、ギターにアンプを繋ぎ、歌を歌い始めた。良いね。下手くそな音楽だけれども、良いね。海がこんなふうに物凄く静かだとやっていられないものね。春の初めのこの季節は、海がこのようなこの季節は、歌でも歌わないとやりきれないものね。私なんかは人を初めて憎んだとき、憎んでしまったとき、とても暑くて、焼き切れんばかりに暑くて、それなのにとても寒くて、そしてとても静かだったから、波の音くらい無いと、とてもじゃあ無いけれどやっていられないよ。音楽無しじゃあ、未だに手が震えて、震えが止まらなくて、気が狂いそうになるよ。
手綱を放すと、犬はもう十四歳、人間で言えば私以上、相当な高齢であるにも関わらず目眩滅法に走り出し、転びながら放尿、嬉ションをし、またジグザグに走り出すのだった。
音楽。歌。犬のわんきゃんいう鳴き声。風が吹く。微かに海から氷の軋む音がそれに混じる。春はすぐそこまで来ている。
砂浜に立てられた重厚な金屏風に、がつんと音を立て犬が激突した。狩野派風の見事な金屏風で、犬は見事に吹き飛ばされたが、すぐ立ち上がるとまた小便を漏らしながら走り始めた。金屏風の前には着物の女が居て、咲き始めた花々を素足で踏み散らしていた。
「あたし、金魚が好きでねえ。金魚をおまつりでいつも買うのだけれど、でも必ず死なせてしまってねえ。だからあたしはいつも泣くことになるの。金魚はばらばらに砕けていってしまってねえ、赤いかけらになっていってしまってねえ、それがとても綺麗でねえ、赤いばらばらのかけらはとてもとても綺麗でねえ」
女は踊るような動作で花を踏み散らし続ける。
「泣きながらそれを見てねえ、あたしはとても悲しいのだけれどねえ、とても、とてもやりきれないくらいに、悲しいのだけれどねえ」
ああ、解るねえその感じ。そうか、そうだね。悲しいね。だが美しい。なるほど。それも生か。それも死か。それも踊りか。
それも歌か。