第195期 #8

若気の至り

 麗らかな春の昼下がり、特別養護老人ホームで、四人の老人が談笑していた。
 彼等は「若気の至り」をテーマに、昔話に花を咲かせているのだった。
「学生の頃に万引きしたら見つかってなァ。親に泣かれちまったよ」
「俺ァ不倫よ。それが原因で離婚して今も独り身だ」
「小さい小さい。ワシなんて会社の金を使い込んで、潰しかけたんだぞ!」
 皆がどこか自慢げに告白する中、一人の老人だけは黙して微笑むだけだった。
 この禿頭の好好爺然とした老人の名は田中善治という。万事が控え目で人と衝突することも少なく、職員や他の入居者からの評判も良かった。
「おい、善治さんも何かあるだろうよ。どれ、言ってみな。聞いてやるからよ」
 そう言って侮るように笑ったのは、谷村幸三という老人である。善治とは対照的に、短気で喧嘩っ早く、周囲からも煙たがられていた。
 彼が善治に妙に突っかかるのには理由があった。
 善治の娘は施設でも有名な孝行者で、甲斐甲斐しく彼の世話をしていた。一方、幸三の娘はと言えば、彼自身が思っている程の薄情者で、もう一年以上も顔を見せておらず、電話すらもかけてこない。
 以前は同じ土地に住んでおり、娘も同級生同士となれば、幸三が嫉妬するのも無理のない話である。
 善治は暫し考え込んだ後、恥ずかしそうに頭を掻きながら、
「はあ、まあ、若気の至りと言えば、一つ大きな悪戯をしたことがありました。
 もう何十年も前の話です。妻が娘を出産して入院していた時、新生児室で娘は他の赤ん坊と一緒に寝かされておりました。看護婦が偶偶不在なおり、私は妙な悪戯心を起こしましてね。看護婦を試してやろうと、自分の子供と隣の子供を、こっそり入れ替えたんですよ。さあ、看護婦は気づくかなと見ていたんですが……そのうち寝ちゃいましてね。目を覚ましたら、どちらの赤ん坊ももういませんでした。
 多分、そういう夢を見たんだと思いますが……まあ、私にあるのはこの話くらいです」
 言い終わると、善治は苦笑しながら、皆の顔を見回した。
 老人達は押し黙り、ポカンとした顔で彼を見つめていた。
 その時、職員がやって来て善治に声をかけた。
「善治さーん。また娘さんがいらっしゃってますよォ」
 善治は立ちあがると、嬉しそうに皆に会釈をし、
「では、すいませんね。どうも、娘がね」
 そう言って去って行く善治の後姿を眺めながら、ポツリと幸三が呟いた。
「俺の娘も……その病院にいたんだよ」



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