第195期 #9
むかしむかし、あるところに柔らかい感じのものがありました。
それを見つけたとき、自分が誰だったのかは覚えていないのですが、冷たい雨が降っていたことはよく覚えています。
もしかしたら、柔らかい感じのものはそこで誰かを待っていたのかもしれません。
しかし、このままだと雨で溶けてしまいそうだったので、私はその柔らかい感じのものをそっと自分のポケットに入れました。
私が私であることに気づいたとき、柔らかい感じのものはすでに消えていました。
ポケットには大きな穴が空いていたので、きっとそこからこぼれ落ちたのでしょう。
穴が空いた理由として思い当たるのは、むかし、トゲトゲした人とすれ違ったとき、そのトゲトゲに何かを引っかけてしまった出来事です。
トゲトゲした人は、色んなものを引っかけたり傷つけたりしながらさまよっていたので、街中が戦場のように荒れてしまいました。
しかし、あらかた街が壊れた頃にはトゲトゲは抜け落ち、当のトゲトゲした人は普通の人になってどこかへ消えました。
私は抜け落ちたトゲの一つを持っているのですが、よく見るとそのトゲの表面もかなり傷がついています。
傷の数を数えると1111本あったので、そのとき私の誕生日も11月11日に決めたという経緯がありますし、私が私であることに気づいたのもそのときでした。
かつてのトゲトゲした人からは、ずいぶん後になって電子メールが届きました。
メールには、あの頃は色んなものを傷つけてしまい大変すまない、といった内容のことが書いてありました。
そこで私は返信して、柔らかい感じのものについて知っていることはないか尋ねてみたのです。
すると彼は、あなたの言っているものと関係があるか分からないが、自分も柔らかい感じのものを持っていると返してきました。
しかしその柔らかい感じのものは、自分にとてもなついているし、自分がいなくなると寂しがると思う、だから、たとえあなたのものであっても返すのは難しいと。
私は、かつてのトゲトゲした人の電子メールを読んだあと、一晩中、自分が持っているトゲを眺めました。
すると夜明け頃、トゲの表面に刻まれた一本の傷から何かの芽が生えていることに気づいたのです。
芽はおはようございますと言うと、歩き出してラジオ体操を始めました。
あと1110本も傷があるので、全部芽が生えたらみんなで学校や村をつくろうと思っています。