第194期 #6

井上

 楽しい旅だった。
 友人と一緒だった。
 ただ旅とは言えないかもしれない。行先を決めずに電車に乗り、降りたことのない駅で降りてうろうろ歩いただけだから。
 ただ、それでも、史跡やお寺、神社をスマホで探して歩いて見つけたりしたのが楽しかった。
「観光地を見てまわるだけが旅じゃないんだな」
「旅とは何か」
「自由を求めて新しいところに行くこと」
「ああ」
「原始人のころからうろうろ歩きまわるのが好きだったんだろうな」
「地球上を覆いつくしたんだもんな」
 夕方になり、これからどうするか相談した。
 友人がSNSに、このへんに住んでる人、一緒にご飯を食べませんか? とアップした。
 井上さんという数年来のネット上の知り合いからすぐにレスがあって、一時間後には駅前の居酒屋さんでお酒を飲みながら一緒にご飯を食べた。
 話が盛りあがり、お店を変えてまた喋った。
 井上さんがお酒好きだった。
 友人が言った。
「終電なくなりました」
「うちに泊まってくださいよ」
 泊まった。
 井上さんは帰宅してからもまた飲んだ。
 井上さんは結婚していて、奥さんは寝る前に、奥の部屋の襖から顔をすこしだけ出して、挨拶してくれた。
 私と友人は用意された部屋で寝て、朝、起きた。
 リビングに行くと寝間着姿の井上さんと、外着に着替えた奥さんがいた。
「おはようございます」
 お休みの日だったのだが、奥さんは仕事に行くと言って出かけた。
 井上さんが言った。
「うち、花屋なんですよ」
 井上さんの奥さんの実家が、地元の古くからの花屋なのだそうだ。土日でも催事の花の準備などで、働かなければならないそうだ。
「幼稚園のころからいじめられてたんですよ、うちの嫁。家が金持ちだから。ぜんぜん仲間に入れてもらえないの」
「幼馴染ですか?」
「そう、そう。で、俺、いじめから嫁をずっと救ってやってたの。小、中、高と。違うクラスの時は、わざわざ違うクラスに行ってやった」
「井上さんは、仕事は?」
「ときどき配達とか手を貸してますよ」
 私たちは井上さんにお礼して家を出て、駅前の牛丼屋で朝ご飯を食べた。
「奥さんは井上さんに働いてもらいたいんだよな?」
「子供のころからの感謝で、別に働かなくてもいいと思ってるんじゃないの?」
 私と友人は、そこで話を止めた。他人の物語の理解はむずかしい。
「こういう、自分たちの肌とまったくあわない価値感覚に出会うのも、旅っぽいな」
「そうだな」
「昔なら征服だ」



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