第190期 #5

雨ニモマケヌ

 父の死から二十年が経った年、母が死んだ。雨の日だった。
 それからしばらくして、年老いた政治家が死んだ。次に、芸能人が続けて二人死んだ。一人は若く、これからだというときに急性白血病になり、もう一人は性的暴行の罪を悔やんでの自殺だった。梅雨に入り、叔母が乳ガンになった。その頃、伯父さんが死んだ。ここまでが僅か一年弱。
 伯父の葬儀が終わって、その足で叔母を見舞い、帰宅した家は暗くガランとしていた。ドアの閉まる音が強くこだまして、遠くで雷鳴が轟くのが聞こえた。椅子に座っても涙は出なかった。
 それからも世界は死んだニュースで溢れた。
 戦地では十歳に満たない女児が自爆装置にされ、スラムでは少年が暴行され死んだ。高位の僧侶の死で、ある国の体制が替わり、殺人鬼の死刑執行にある種の人間だけは陶酔した。
 休日。河原。少年野球。
 呪いという免罪符で片付けられれば気が楽になるであろうかと私は考えている。人は誰だって死ぬのだと私は考えている。いっそ、この川に身を投げれば楽になるであろうか。私が生きる意味は何であろうかと私は考えている。

 妹が子を産んだ。
 抗がん剤治療が終わっても叔母の経過観察は必要だった。
 近所に子犬が産まれた。三匹に触れた指の匂いを嗅ぐと、いつか嗅いだことのある、あの犬の匂いそのものだった。
 自然林を歩く。木漏れ日。ウグイス。花火。海水浴。紅葉。霜柱。紅白。桜の季節。
 妹の子は一歳を過ぎ、私を見ても泣かなくなった。
 妹の旦那と飲んだ。旦那はいつも笑っている。年下の旦那を私は見ならおうと思う。
 妹の子が三歳を迎え、私は結婚した。妻は料理が好きだと言って私を好きだとも言った。だから、私も妻を好きだと言った。
 帰宅した家には明かりが灯り、雷鳴は聞こえない。
 来年、我が子が産まれる。
 妹は私にとって妹であるが、妹の子は私の子にとって姉であることが不思議だった。
 明かりの灯った家は暖かく、それが、想像以上だったことを父母の墓前で呟いた。
「何か言った?」
「別に」
 隣の妻の問いを私ははぐらかす。
 妻が唐突に言う。
「叔母さん良くなるのかしら」
「生存率って、どれだけ生きられたら幸せだと思わなくちゃいけないんだろうね」
 雨が降り出すときのひと滴が頬に当たる感触は突然であると私は知っている。人は突然死んでしまうんだと私は知っている。それでも、妻を持ち、子を授かり、あのときの子犬も家族になった。



Copyright © 2018 岩西 健治 / 編集: 短編