第185期 #8

ぼたんゆき

公園の立ち話がきっかけで彼女をチッペラリと呼ぶようになって随分たつ。その日も赤黒青を不規則にくみあわせたスカートをはいたチッペラリが、ドアを開けると立っていて、下の駐車場で遊んでいる子供を見ていた。

「やあ、チッペラリ」

私が言っても知らん顔をしている。

「みそ汁がのみたくなったのよ」

チッペラリは今度はにらみつけるような視線を投げかけてくる。

「まあ、入れよ」

私がそう言い終わらないうちに、チッペラリは靴を脱いで部屋にあがり、カーペットにごろんと寝転がって、柔軟体操などをはじめる。

「体がね、かたいのよ、さいきん。あれ、みそ汁まだ?」
「まだできない」
「先にみそ汁が飲みたいってあたしは言ったと思うけど」

私は台所へいって、常備しているインスタントのみそ汁にワカメを加えて、お湯をそそいで持っていく。

「みその香りがしないよ、インスタントじゃないの」

チッペラリは目をとじて、ゆったりした動作でおわんに口をつける。そのあいだは、彼女は黙っている。私もしゃべらない。チッペラリの喉がゆっくりと動く。

私もお椀にみそ汁をいれて戻ってくると、彼女は再び柔軟体操をしていた。体がかたい、と言っているのは本当で、ほとんど曲がっていない。シャープペンシルの芯のような体で、厳しい目をしている彼女を見ていると私は思わず笑ってしまった。

私の笑い声に彼女は機嫌を悪くしたのか、柔軟をやめたといって、持ち込んだ雑誌を読みはじめる。

昼の時間が過ぎていく。私とチッペラリの間にある、奇妙な一本の線。私が彼女と同じくらいの年なら、私は強引にこの線を踏み越えようとしたかもしれない。

「じゃあ帰る」
「気をつけてな」

チッペラリが帰ったあと、私はお椀を洗い、それが終わるとリビングの椅子に座ってひとりまどろむ。目を閉じると私はたいてい眠ってしまって、夢なのか現実なのかよくわからない状態をさまよっている。

その日は珍しくチッペラリが笑顔で立っていた。
「あたし、結婚することにしたの」

そりゃあよかったな、と私が言うと急に泣きだして、私を押しのけて部屋に駆け込み、棚のブランデーを一気飲みしだした。

そのときも、派手なスカートに紫のシャツを着ていた。酔っぱらって眠った彼女に毛布をかける。

寝息をたてているとチッペラリはとても素直で正直な女の子にみえる。たぶん、それが彼女の本当の姿なんだろう。私はなにか彼女に与えることができたらな、と考えたが、何もできない。



Copyright © 2018 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編