第183期 #5
スーパーで夕食の買い物中、久々にスパムを食べようかと手を伸ばしたとき、隣の部屋の山崎さんがヌッと現れた。
「沖縄の人って、本当にスパム食べるんだ」
濃いメイクに形どられた顔が、なぜか嬉しそうに笑う。彼女は新潟出身だっけ。スパムを食べることに本当も嘘もないのだが、まあね、と曖昧に答えた。
「シマちゃん、もうすぐ買い物終わる?」
そう訊く彼女のカゴには、長ネギやら味噌やら豚肉やら、大学生にしては健康的な食材が詰め込まれていた。
「うん、これくらいかな」
答えてから自分のカゴを見ると、牛乳と冷凍チャーハンとスパムだけがレジに通されるのを待っている。東京でもちゃんと自炊するのよ、と口うるさく言っていた母親の顔を思い出して、少し罪悪感を覚えた。
会計を終えてから、山崎さんのパンパンになったレジ袋を1つ持ってあげた。
外はだいぶ暗くなっていて、12月の冷たい風が顔や手を一瞬で凍らせた。山崎さんが悲鳴をあげる。
「さーめ!東京も冬は寒いね!シマちゃんなんか、沖縄と全然違うんじゃない?」
「うん、やっぱ寒さにはまだ慣れないな」
寒さと重いレジ袋で右手が痛むのに耐え、どうにか笑って返す。
お互いの大学のこととか他愛のない話をしながら、西永福の商店街を抜けて、築三十年の小さなアパートに辿り着いた。
作りすぎたらお裾分けしに行くね、と言って山崎さんは隣の部屋に消えていった。
自分も部屋に入ると、外と変わらない空気の冷たさに震えた。電気を点ければいつもの殺風景なワンルームが現れる。実家には一秒も存在しなかった静寂。妙に虚しい気持ちになった。
たとえスパムを焼いて食べたって、あの赤瓦の家に戻れるわけじゃない。そして私は、あの亜熱帯の島に帰りたいわけでもない。
昔から「わりと出来る子」扱いで、友達も多くはないけどいた。それに甘んじてダラダラと青春を費やし、周りの勧めとどこか遠くへ行きたい気持ちで東京の大学に進んだ。山崎さんは、新潟の家族や友達のことをあのキラキラした笑顔で語ってくれるけど、私にはそれが出来ない。ここに馴染むのも、故郷に帰るのも、それはたぶん私じゃない。
小さく切ったスパムを焼きながら、シーサーの置物でも買ってみようか、と考えた。でもあれは、赤瓦の屋根に似合っても、この薄暗いワンルームには似合いそうにない。
少し焦がしてしまったスパムを解凍したチャーハンに混ぜる。故郷の真夏の日差しが遥か遠くに感じられた。