第176期 #1

遠い過去に存在したはずの街について

 わたしの前に物書きがいて、書いても書いても消えてしまうのだと言って泣いている。かれが使っている筆記具は数秒しか保存に耐えないもので、それを過ぎると書かれたものは跡形もなく消えてしまう。わたしはかれに他の筆記具を与えようとするが、かれは新しい筆記具を手に取ることはない。そうして泣き続ける。自分の書くものは残るに値しないものなのだと言って泣き続ける。
 物書きの隣には削除屋がいて、消しても消しても戻ってきてしまうのだと言って泣いている。かれが使っている道具は完全に削除することのできない欠陥品で、削除したはずのものを再現するのは簡単だ。わたしはかれに他の道具を選ぶように説くが、かれは新しい道具を探すことはない。そうして泣き続ける。自分のなす作業はまったく意味のないことなのだと言って泣き続ける。
 部屋には泣き声が充満している。面倒なのでわたしは自分の筆記具を使って書き物をし、不要な部分は削除する。できあがったそれは途端に喝采を受ける。空前の傑作だと言って部屋の外に持ち出され、街の真ん中に飾られ、道行く人たちがその前で立ち止まる。
 その傑作の作成者は件の物書きで、協力者は削除屋だ。わたしがそうサインをしたからだ。物書きと削除屋は驚くほどの称賛を浴びて戸惑うが、それが自作であることを否定することはない。やがて物書きと削除屋はその街の権威となり、街を牛耳ることになる。
 わたしは閉ざされた部屋で書き物を続けている。それぞれの作品にはすべて別のサインを付す。それらはほんの少しの称賛を浴びることもなく、誰かの目に触れることもない。
 時が経ち、わたしは老い、物書きと削除屋は没した。わたしは部屋のなかにあふれかえった書き物のすべてを削除した。それと同時に物書きと削除屋の傑作とされていたものも消した。物書きと削除屋はあっという間に忘れ去られた。わたしは誰の記憶にも入り込むことのないまま、すべてが消えた部屋のなかで朽ち果て、やがて街自体も没した。
 遠い未来に潰えた街を掘り起こし、この街の繁栄について調査する者が現れる。けれどもすべてが削除されてしまったあとの未来では、物書きも削除屋もわたしも発見されることはない。短い論文ができあがり、街の痕跡が伝えられるが、それだけのことである。



Copyright © 2017 たなかなつみ / 編集: 短編