第176期 #2

夫から妻へ

 昨日セックスをしたからというのは当然あるが、下半身に何となくだるさを覚えて階下に降りると妻と子供らが食卓を囲んでいた。
 まだ早い時間なので新聞だけつかんで自室に引き下がろうとすると今日は家族でドライブに行く日だという。ああそうだったと食卓に引き返し、新聞を広げて妻の作ったハムトーストを食べているといいことを思いついた。

 はやる子供たちをなだめながら車に入れ、発車。音楽でもかけようとカーステレオに手を伸ばす妻を制して行先は区民ホールに設定した。西も東も関係ないような明るい午前、それでもナビに忠実に東の区民ホールへ四駆は走った。妖怪や幽霊など、出てきそうもない、ピーカンの青空だった。開けた窓から風が入り込み、子供たちは眠ってしまった。妻も二言三言話しをすると眠ってしまったようだ。緑豊かな雑木林に入ると、そこで初めてカーステレオのスイッチを入れた。ヴォリュームを最小限に絞るとそこから昨日のセックスの時に録音した声が聞こえてきた。これは妻以外の女と性交したときに録音したものだった。五分程度たつと、車は林を抜け、急に大きな通りに出た。ステレオはまた別の声を再生し始めていた。今度はどうも妻との性交の時に録音したものらしかった。

 助手席の妻を見ると、まだ目を閉じていた。こんな陽気な日には妖怪も幽霊も出てこないのではないかと思った。
「区民ホール」閉じた妻の口が開いて私に到着を告げた。ナビも嬌声をかき消して間もなく目的地周辺です、と私に伝えた。私は区民ホールについたことを子供たちに伝えた。子供たちは目をこすると大きく伸びをした。区民ホールには誰もいなかった。今日は日曜日で、しかし何の催しもやっていなかった。そしてそのことを私は知っていた。しかし催し物がないホールに鍵がかかっていないことは知らなかった。妻は驚いた顔をしていたのでたぶん知らなかったのだろう。子供たちは誰もいない区民ホールで尿意を覚え、トイレにかけていった。

 緞帳が下りたままのステージを見下ろしながら、妻と私は一番後ろの席に座っていた。妻はホールを見渡すと横にいる私と目を合わせた。私は妻の目を見て、「百万円、もらったのかい」といった。妻は祈るような表情で首を振った。縦に振ったのか横に振ったのかはもう私の知る問題ではなかった。



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