第17期 #13

時には昔の話を

 奈津子に会ったのは数年ぶりの帰郷を終え、駅へと向かう途中のことだった。

「久しぶりね」

「……うん」

「高校卒業して以来だから五年ぶり?」

「そうだね」

 細かった頬はすっかり丸みを帯び、金色に染められていた髪は、今ではもうすっかり黒くなっていた。でも、久しぶりに聞く彼女のその声は、昔と一緒で僕はすっかりドギマギしてしまったのだ。
 だからだろうか。彼女が抱いている赤ん坊に気がつくのが随分と遅れてしまった。
 僕の視線に気がついたのか、赤ん坊に向かって微笑んでから津子は言った。

「私ね、去年結婚したの」

「……そうなんだ」

「そ」
 
 思えば、奈津子と過ごした時間の倍以上の間、彼女に会っていなかった。奈津子と一緒だった頃、僕はずっと彼女を追いかけていた。彼女が聴く音楽を聴き、彼女が読む本を読んだ。
 だけど、教師に反発したり、突然髪を金色に染めてしまうような、そんなところは小心な僕にはとても真似することは出来なかった。
 誰かが「あんなやり方はもう古いよ。教師の前では、はいはいって言ってりゃいいんだよ」と、そんなことを言った。けれど、僕はそうは思わなかった。奈津子はただ彼女のやり方を率直に表明していたに過ぎない。僕はそんな彼女をずっと眩しく見つめていた。
 そう、僕はただ彼女の崇拝者であればよかったのだ。
 だけど、奈津子は僕にそれ以上のものを求めた。
 そして、僕はその彼女の期待に十分に答えることが出来なかった。

 赤ん坊の泣き声が僕を今の時間へと引き戻す。
 赤ん坊をあやす彼女の姿はもうすっかり母親のものになっていて、僕はまた彼女に置いていかれた気がした。

「抱いてみる?」

 と奈津子は突然言った。

「……え?」

 一瞬、違うことが思い浮かび思わず聞き返す。

「この子をよ」

「ああ」

 僕は頷きながら、絶対狙って言ったに違いないと思う。
 そして、赤ん坊を抱きぎこちなくあやしながら訊ねた。

「名前はなんて言うの?」

「この子の名前? 知りたい?」

「うん」

 僕の顔を見ながらゆっくりと彼女は名前を言った。
 それは、確かに僕の名前だった。

 あまりのことに思わず赤ん坊を落っことしそうになる。
 そんな僕から赤ん坊を奪い返すように受け取ると、奈津子は笑った。

「うそよ」

「え?」

「だって、この子は女の子だもの」

 その笑顔は、昔の彼女のままだった。



Copyright © 2003 曠野反次郎 / 編集: 短編