第169期 #10

カラス売りの少女

 市場町に越して半年。最初、彼女に会ったとき、下心がなかったと言えば嘘になる。実家にいたとき、たまに宗教の勧誘がきて、うまく断れずに話を延々と聞くだけで気苦労してしまい、二、三日気分が陰鬱になることも多かった。神様、どうか俺を救って下さい。

 カラスの肉は実にうまかった。何か特別なレシピがあるのか尋ねると、その家、その家でストックしてある食材が違いますから毎回アレンジのようなものです、と彼女は言う。灰色の世界がやがて黒になり、あぁ、この味だ、この味だ、カラスとは初対面なのに昔から知っていて、知っているにも関わらず探し求めていて、やっと見つけた。そんな味である。

 月一程度で彼女はカラスを売りにきた。違法性がどうのこうのは調べても不明で、だから、大家にそういうこと聞くもんじゃないと勝手に判断した。というか、後ろめたい味であったのだ。デートに誘ったのは、三回目のカラスのあとであり、デートは午後から雨になった。俺のジーンズやカラスのスカートの裾が雨を吸って、それが心の重みと同じ重さになってデートは消滅。それから、二、三日気分は落ち込んだ。

 ある日突然痩せたのではなく、日に日に少しずつ、だから気付けなかった。どうした、と聞いてもカラスは口ごもり、どうしても触りたくて彼女の髪に手をやったら、髪はずしりと下に落ちた。
 咄嗟に頭を手で覆う彼女。沈黙するだけの俺。窓の外にはカラスが鳴く。

 排卵って、本当に卵出るの知ってた?
 俺の見ている前で彼女は卵を産んでくれた。これ、受精卵じゃないから、今朝の朝食にするね。
(そのときの俺は女の体のことよく知らなくて、彼女が青い卵を産むことに何の疑問も持たなかった)
「痛くないの?」
「平気、ちょっと重い感じあるけど」

 黒い世界が灰色になり、痩せた彼女の髪が床に落ちて、それだけ見ると鳥の死骸のようでもあるウィッグ。俺の手の中の彼女の骨がきしむ夕刻にカラスが泣いて、俺も泣いた。
 今度は俺が料理するからさ。別れ際、彼女は何もなかったかのようにウィッグを着ける。お互い崩れた気持ちを繕うように顔だけは笑顔を作る。

 市場町で五年、新しい職場にも慣れ、青果担当を任されるようになった。俺がカラスを食べ尽してしまったのだ。今更ながらそう思う。今の彼女はカラスのように青い卵を産むことはない。雨があがると空を見上げた。雨は嫌いであるが、できた水たまりは好きである。



Copyright © 2016 岩西 健治 / 編集: 短編