第162期 #9

女の子は泣きながらドーナッツを食べる

ドーナッツがなくなったので、涙を拭いて家を出る。顔は少々荒れているが、かまわんよ、と彼女は胸を張る。女が悲しむ理由など星の数ほどある。

「いらっしゃませ、店内でお召し上がりですか?」
「持ち帰ります」
「かしこまりました、ご一緒に飲み物は?」
「珈琲を」
「アイス、ホットどちらにしましょうか」
「ホットで」
「ホットだとだいたい10分でさめてしまいます」
「大丈夫です、と彼女は答えるが家まで早くても20分はかかるだろう」
「20分かかるんですか?」
「ああ、いえ、さめてもいいんです、ほのかにあたたかければ」
「かしこまりました、950円です。店員はおそらくこの客の女はひとりでドーナッツを食べながら泣くのだろうなと想像する、すでに顔が腫れているし、化粧もあまい、この種の女は本能的にドーナッツをむさぼることを彼は知っている」
「あたし、むさぼりません、と彼女は反論するが確実にむさぼっては泣き、むさぼっては泣き、を繰り返しているのだからその見立ては当たっている。正解。あたしはドーナッツをむさぼりながら泣くのよ悪い?」
「悪くはありません、が身体に良くありませんな、と紳士的な態度に出た店員はすでに異性として客を見ている。危険である。店員としての役割を演じることがお前のアイデンティティだろうが、主な人物としてしゃしゃり出るべきではない」
「けれど、昨今の映画事情よ、何でもない主人公がなんでもない日常を送る映画が高い評価を得ることもあるじゃない」
「それはね、元々実力のある人しかできない技であって、見よう見まねのぽっと出がまねしたらやけどするぞ」
「この場合のやけどは、熱による炎症ではなく、概念としてのやけどね、すいません、10000円で」
「9050円のお返しです、ありがとうございました、胸、おっきいですね」
「よかった、正直それだけが自慢です」
「店員は微笑み頭を下げる、いつもより少し深く」
「彼女はドーナッツと珈琲の袋を取り店を出る、2月の空は低く唸っている」
「ドーナッツ袋弾んで走る街の風景すべて置いてきぼりよ」
「やっぱ店内で食べてきます」
「踊りませんか?」
「踊りません」
「了解、空いているお席にどうぞ」



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