第158期 #18

生痕化石

 海際にある黄土色の岩棚を歩く。ところどころ濡れていて足を滑らせそうになる。小さな潮溜まりを覗きこむと、わずかな水にすがりつくようにして海草や小さな貝が生きている。遠くからは平らに見えるこの岩棚は、人工物ではなく一枚の地層らしい。表面には灰色がかった蛇が何匹もうねりくねっている。そのうちの一匹の膨らんだ腹を、分厚い靴で踏みつけてみると、意外にも固かった。
「こういう形の岩なんだ。生き物の巣や這った跡が化石になったものなんだよ」と父は言った。「君が生きて死んで生きて死んで、何万回もそれが繰り返されるくらい途方もない時間をかけて固まったんだ」
「父さんなら固まるところ見れる?」
「どうだろう。耐久年数が長くないから、故障して交換してを繰り返すだろうね」
 ゆっくり首を回してメット越しに景色を眺める。空は澄んでいてどこまでも遠く、岩棚の端で波が砕けて飛沫を上げている。強めの潮風がちぎれた雲を運び、傾いだ松林を撫でていく。私は、シェル・スーツに覆われた太い腕を振ったり、足で水を蹴って遊んだりした。
「ねえ父さん」
「なんだい?」
「私の生きた痕跡は残るのかな」
「もちろん、残るよ」
「でも誰にも見つからない痕跡は、残っていないのと同じじゃないのかな」
「じゃあ私が見つけよう」
「見つけられないよ。父さんは全部記録しているんだから」
 フィルタリングされた波音を聞きながら、父が教えてくれた百年前の歌を口ずさむ。日が傾き、じわじわと海面が上昇する。
「そろそろ時間だ」
「これからどうするの? あのボート燃料切れてるんでしょ?」
「大丈夫、船着き場で補充できる。やりかたを教えよう」
「父さんがやればいいのに」
「私にできるのはボートを運転することくらいさ」
「戻ったらまた探すの?」
「そうだね」
 転ばないよう注意しながら岩棚を後にする。
 おそらくここには、父がまだ柔らかかった頃の大切な思い出があるのだろう。記録と化し、二度と思い出されることのない記憶。私はその痕跡を見つけることができなかった。
 いつかまたここを訪れよう。その時は、この分厚い殻を破って、足の裏で直に岩に触れてみたい。体を覆う小さな潮溜まりから飛び出し、海の温度を感じたい。生き物たちの匂いを嗅いで潮風に髪をなびかせたい。私の隣には誰かがいるのだろうか。いまだ父に見つけられていない誰かが。
 振り返ると岩棚は完全に沈み、太陽もゆっくり海に落ちようとしていた。



Copyright © 2015 Y.田中 崖 / 編集: 短編