第153期 #15

この言葉はあなたに読めますか?

 ある物売りの組織に属する先輩と後輩を思い浮かべてみる。二人は組織の所用で旅へ。乗物の座席に二人でいて、後輩は鼻先を窓にまで近づけて目まぐるしく変わる外の風景を眺めている。
 後輩が言う。
「僕はこれから行く土地が初めてです」
「うん」
 先輩はこれから行く先について知っていた。後輩にとっては新しく、先輩にとっては旧知だった。後輩が質問して先輩は回答した。後輩は期待に溢れていて、先輩は退屈だった。
 話していて、後輩は自分が先走って興奮しているのに気づく。自分より年上の先輩は落ち着いていて、それに比べて自分は浮つき何となく恥ずかしい。後輩はあいまいに笑って一時しのぎ。はにかみと呼ばれる社会的所作。

 ところでこの言葉はあなたに読めていますか? この言葉を表示するための環境があなたの電子端末にありますか。歴史上いくつかの勇名と悪名を残した人々が自分たちの言葉を捨ててから随分経って、読み書き話せる人はごく僅かになりました。学問的にだけ保存され日常使用が皆無であるこの言葉は、事実上の絶滅種です。

 私はこの言葉の愛好者です。奇妙で良い。
 この言葉は自分を指し示す主語が話す相手や使用する状況によって変わります。私は俺は僕は。この言葉が形成した社会の人間は、一貫した自分であるという意識を作れなかったようです。今置かれている自分の状況把握に忙しく、自分が何を考えているかについて考えることが難しかったのでしょう。彼らにとっての言葉の主な役割は感情の表出であって宣言ではなく、呪いであって誓いではない。
 こんな社会がうまく行く筈ないと思うのですが、意外と順調でした。揉め事や判断すべき物事は、ぜんぶ立場の上の人が決めたからです。議論をして合意形成を行う時間が省略できるから、思いがけず集団作業の面で成功をおさめました。

 この言葉を使用していた人たちは、国家も作りました。その国民は悲惨でした。言葉の性質上、国家が決めたことに雰囲気で従うから。当然、人権もありませんでした。
 使用する言葉の変更も国家が決めたことでした。文化を内蔵した言葉を捨てるというのは、私からすれば反文明的暴挙だけれど、国民はどうやら冒頭の後輩のように、はにかみながら受け入れたようです。
 自分について考えないこと。案外それは幸せなことなのかもしれない。
 鏡の前でどうやったらいいのか分からないはにかみを練習しながら、私はそう思っています。



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