第15期 #16

総菜屋の猫

 夕方の買い物客が多い時間には決まって店先に置かれた丸椅子に座っていたので、その黒猫は総菜屋の猫なのだと思っている人が少なくなかった。当の総菜屋も、わざわざ人が多い時間にやってくるのは商売の手伝いのつもりなのかもしれないと、都合のいいように考えていた。
 声をかけられ撫でられて、たまにおこぼれに預かって、丸椅子の上で猫なりに勤めを果たしていた。夕飯どきを迎えて商店街に人が少なくなると、椅子からひょいと飛び下りて、その黒い姿はすぐ暗闇に溶けた。
 ある日のこと、店を閉めようとしていた総菜屋の主人が、椅子を抱えて女房に尋ねた。
「なあ、そういえばこの椅子、どうして表に出すようになったんだっけ」
「さあ、どうしてだったかしらねえ」
 女房は首を傾げて答えた。猫が来たから椅子を出したのか、出してあった椅子に猫が陣取ったのか。二人はすっかり忘れてしまっていた。
 年々商店街は寂れていったが、総菜屋にはどうすることもできなかった。店先の猫が退屈しているように感じられる日もあったが、どちらかといえばそんなことを気にしている彼の方が退屈だったはずだ。
 年老いた総菜屋が店を閉める決心をしたころには猫も相当年老いていたはずだったが、椅子に上り下りする様子を見ていた人は、誰もそんなことは考えもしなかった。
「お前の席は、ちゃんとここに取っておくからな。いつでも来いよ」
 最後の勤めを終え椅子から飛び下りた猫に、総菜屋は後ろから声をかけた。何の反応も無く、猫の姿はすぐに見えなくなった。シャッターが降ろされて、丸椅子だけが残された。
 しばらくの間は、かつての客や総菜屋の夫婦が、椅子に座った猫に語りかける姿が見られた。やがて客が一人減り、二人減り、総菜屋の女房が姿を見せなくなり、いつしか主人の方も来なくなって、椅子に至ってはいつ無くなったのかはっきりしない。
 以前は商店街だった通りを、夕方になると決まって一匹の猫が訪れる。閉ざされたシャッターの前に一時間ほどじっとうずくまり、夕飯どきになると、とぼとぼと去っていく。
 その黒猫は総菜屋の猫だという人もいるが、総菜屋がなくなってからもう随分経つので、真相は猫同様に闇の中である。それを受けて総菜屋の猫は白かったなどと言い張る輩もいるが、これは愉快犯に違いない。
 昔そこは商店街だった。人が大勢いて、猫も少しはいた。要するにそういう話だ。



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