第15期 #15
なだらかな裾野に製紙工場の煙突が立ち並ぶこの街では、何処にいてもどの方角を向いてもかなりの遠くまで見渡すことができる。とりわけ標高の低い羽倉川河川敷の辺りにおいては街全体がこちらへ傾いているかのような眺望を得られるのだが、その事を知る者はそれほど多くなく、ましてや夜景とは高台から見下ろすものと信じてやまぬ人々が、この河川敷からの夜景に行動力の全てを費やす人間の存在を予測する筈がなかった。
日が暮れる一時間前からぽつぽつと点き始め、西の空が完全な暗闇となるころには途轍もない遠くにまで民家や商店の灯が広がる。実際にはこの斜面も峠を迎え、その向こう側へと下りていく。それでも眼下に展開する景観は「無数」「莫大」と言い表すより他になく、これが世界の全てだ、とでも主張するかのような夜景を前にして打ちひしがれぬ者は到底いるまいが、もっとも僕は無力感に包まれるために今日ここへ来たのでもない。
友人に連れられ初めてこの場所を訪れたとき、僕は只々圧倒されるばかりで感嘆の声すら出なかった。もはや人が造りだす人工の夜景は夜空を凌駕し、科学技術が人の手を遠く離れている、などと考えたりした。或いはそんな大袈裟なんでなく単純に「多勢に無勢」という諺に表せるだろうか。どちらも言いたいことに差異はなく、一つ一つの電燈は点けるも消すも手軽にできるが、この街全体を暗闇に陥れることは容易くない。否、容易いのだ、今ではそう思う。
高校生が通販で「高枝切りばさみ」を購入することに疑いを向ける者は無かった。わずかな力で太い枝をパキポキ折れるという鋏で、枝よりはるかに強大な相手へ立ち向かっていこうと決める。少数精鋭で多勢を効率よく潰滅させるテロリストのように、てこの原理を応用した小道具を以て世界を敵に回す。全てはこの広大な裾野に街が造られたことに始まる。失敗だった。ひとたび一部が壊れたとき、街全体が雪崩れるようにして一斉にこの河川敷まで押し寄せるに違いない。恐怖に駆られて戦争を仕掛ける国のように、街が傾斜を滑り落ちるより先に、僕もまた街を消し去りたいと考えているのかもしれない。
僕は、否、俺は鋏を担いで高圧鉄塔をよじ登る。梯子は夜露に濡れている。塔の尖頭で点滅する赤色の航空障害灯に目が眩む。それでも頂点までは辿り着き、ケーブルを掴み、足を滑らせる。カランと拍子抜けの音を鳴らして鋏が落ちる。夜景は少しも動じない。