第147期 #18

サイコパス

平面リスの森に普通のリスはいない。

「夏の木はとっくに死んだよ」と平面リスは言うと、黒焦げの木の実を私の頭に落とした。「なにしろあんたのことを100年も待っている間に、この世を終わらせるような戦争が2度もあったからね。夏の木が残したものはそれだけさ」
 私は地面に落ちた黒い木の実を拾いながら、君とは何も約束などしていないと、木の枝に貼りついた平面リスに言った。夏の木の下で約束をした相手は、きっともうこの世にはいないだろう。
「ここは土も水も汚れているから、あまり長くいてはいけないよ」と平面リスは言いながら、剥がれかけたポスターのように風に揺れていた。「あんたは約束を果たすためにここへ来た。そしておいらはあんたと約束などしていない」

 1度目は悪魔が起こした戦争で、2度目は神が起こした戦争だと私は聞いている。そして1度目の戦争で言葉が死に、2度目の戦争で季節が死んだと。
「あんたはまるで詩人だな」と平面リスは吐き棄てると、ただの紙切れになって風に飛ばされた。「言葉や季節が死んだというのは本当だが、正確にいうと、誰もこの世界の意味を考えなくなったということさ。言葉はそこら中に転がっているが、それらはアウシュビッツの無数の死体と同じなんだよ」
 棄て台詞にしては長すぎると思ったが、別れ際などに言葉があふれ出ることはよくある。たとえ明日また会えるとしても。
「つまり言葉に意味がないなら、人間にも意味はない。だから平気で人を殺せる」

 私は適当な大きさの石をあつめ、夏の木があった場所に碑のようなものをつくった。風も無いのに、森の木陰が地面で揺れていた。
「ねえ旦那、それなあに」という声が聞こえたので振り返ると、子狐がこちらを見ていた。
 私はしばらく碑を眺めたあと、首をかしげる子狐のほうを向いて、自分の来た場所を覚えておくためのものさと答えた。
「でも、どこかへ行くたびに石を置いてたら、世界中が石だらけになるよ」と子狐は言った。
 そうだな、と私は言うと、手に持っていた石を地面に放った。
「でもその石を見たら、ぼく、きっと旦那のことを思い出すよ」と子狐は言うと金色のシッポをこちらに向けた。「じゃあね、暗い顔の旦那」
 私は待ってくれと子狐を呼び止めた。君は一人ぼっちで、ほんとは帰る場所なんてないんじゃないかと。
「誰だって、さよならを言うときは一人ぼっちさ。でも旦那は、やっと100年後に会いにきてくれた」



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