第146期 #7

魚符の吏

 南宋に劉洪托という獄司空がいて、早朝に東京開封府(河南省)を出て杭州の沿岸にある銅の採掘場に向かっていた。連れ立った刑徒は、汚職の下級役人やら暴力を働いた丈夫がほとんどで、採掘した銅を運ぶ小火車を渡すための軌条敷きの工事に遣わすのだ。
 もとは沼の底だと謂れの採掘場に着くと、黄砂の積もる窪んだ土地。「史記」に伝わる悪名高き妲己の伝承を想起した。「酒を以て池と為し、肉を懸けて林と為し、男女をして裸にしてその間に相逐はしめ、長夜の飲を為す」との謂れのあれである。劉洪托は刑徒を場に放ち監視にいそしむ。群がる者の差異はあれど廖郭たる様、紂王がつくらせた石造りの池苑さながらであった。

 身震いをおぼえ小用に立った劉洪托は、岩の狭間の枯れ草のなかに腰かける道士を見つけた。口を聢とむすんだ道士もまた、虫螻のように採掘坑に集る者共を見下ろしていた。
「明帝のゆるし得ず立ち入ってはならぬ」
 劉洪托の一喝で道士はおもむろに立ち、懐から符を取り出した。
「昔日にここで親を没めたことがおありか」
「侮るか。この手で人を殺めたこともない。まして故郷に健在なるぞ」
 劉洪托が短刀を引き抜くと、道士は「沙羅紗々紗、更沙羅更紗」と軽妙に小筆でなぞり、掌で符を包む。つかの間に呪詛を唱えたかもしれず符は空を舞い、劉洪托の目先をそよいだ。
「生き死にの母ぞ乾屍。泥の王都を穢してはならぬ」
 切りつける間際、道士は陽炎然として消えてしまった。劉洪托は空を泳ぐ符を掴んだ。

 採掘場では刑徒が散って作業をしていた。
 劉洪托が降りていくと握った手から符が自然と離れ、刑徒のひとりの肩にとまったではないか。たちまち刑徒は目下を夢中で掘り始め、やがて踝あたりの深さに至ると水が湧いて乾いて固まり、世にも見事な黄金と化したのである。
 乾くのを待たず水を呑んだ刑徒たちは錯乱の態。同じく眩さに正気を逸しそうになった劉洪托は、痙攣する半裸の背中を見て慄然とした。刑徒たちの頸から腰にかけた背骨が隆起し、破竹めく音を立ててまくり上がったのだ。背骨だと思しきは骸骨魚の幾枚もの背びれであり、それは抜け殻になった刑徒の骸を飛び立つと黄砂の地に落ち、掘削機さながら地中へと没んでいった。

 劉洪托はやみくもに黄金を拾うと、逃げるように帰郷した。職こそ失ったが後の劉家は孫の代まで栄えた。
 劉洪托は孫が生まれてほどなく、漁場の魚を食らい毒にあたり死んでしまった。



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