第139期 #8

少年ピラニア

 コの字型の校舎の真ん中に、水藻で底の見えない池がある。上履きが藻を食べていた。わたしの上履き、ママに縫いつけてもらった華柄のワッペンが、藻を食べている。もう片方はチャボのいる小屋のなかで糞尿まみれになっていた。
 夕映えが三階の硝子窓で屈折して、犬走りを照らしていた。池に浮かんだ上履きは手が届きそうもなかった。ホウキで突ついてもくるりと反転するだけで、叩いてもしぶきをあげるだけで、たぐり寄せることはできない。
 何度かバシャバシャしているうちに、藻のすきまから白い目がじろりと睨んできた気がした。目をさました、とすぐに分かった。少年ピラニアを起こしてはいけない。なんでも食べるのだ。けれど、わたしの上履きは食べない。臭いから。
 同級生がいう。酪農家の子だから、牛糞を踏んで暮らしてるって。まさか。わたしの顔を見ると牛乳が臭く感じるって、酪農家だから牛乳飲めって、机に積まれるパックの山。
 ランドセルをそばにおき、息を殺して上履きをまた突いた。白い目が、水面を探っている。目が合えば飛びかかってくる。ぎざぎざの歯のおとこのこ、人を食べるこの学校の悪魔。上履きが手前に動いた。届くかも、と腕を差し伸ばした矢先、水際の苔で爪先が滑りバランスを崩した。落ちる、そう思った瞬間、誰かが二の腕を掴んでくれて落ちずに済んだ。
 同じクラスのヨリコが、「何してんのさ」
 わたしはぜんぶ話した。上履きのこと、誰の仕業か、この池に棲む少年ピラニアのこと。
「タッちゃんちに行こうよ」
 隣のクラスの男子でヨリコと仲がいい。付き合ってるってみんないってる。わたしはヨリコに腕をつかまれて連れて行かれた。タッちゃんの家は学校からそう遠くない住宅地にあった。家の人は出かけているのか、玄関から顔を出したのはタッちゃん。「わぁ、いらっしゃい」わたしはヨリコたちと二階にあがる。
 池のほとりでわたしはいったのだ。「どうしてこんなことするのヨリちゃん」
 するとヨリコは、「遊びだよ、遊び」。わたしの上履きを池に沈めることが遊びだというの。タッちゃんが部屋の扉を開ける。「牛女が遊びに来たぜ」
 部屋の中にいたのは、見覚えのある四、五人の男子。わたしを室内に引きずり込んだ同級生の手で、服は脱がされる。抵抗するわたしをヨリコがケータイで撮っている。わたしはその背後に、水藻の森を思い出してる。そうだ、ここは池のなかだ。みんな少年ピラニアだ。



Copyright © 2014 吉川楡井 / 編集: 短編