第12期 #27

 膝に手をつき、ぜえぜえと喘ぐ。肺が破れそうだ。
 廃墟は闇に沈んでいる。凍った地面だけが僅かな月明かりを照り返し、路の両脇に続く柱をぼんやりと浮き上がらせていた。その柱のひとつに、鍵穴が空いていた。ピストルで打ち抜かれたように。
 追っ手はじきに来る。震える指でなんとか鍵を挟んだ。柱には鍵穴以外に何もない。これがどうやって天国に繋がるのか、不安がよぎったが、それ以上は考えずに鍵を差し、回した。
 じわりと汗が噴出す。後ろを振り返る。
 間違えるはずはない、鍵穴は一つしかないのだし、鍵も本物だ。そうでなければ誰もおれを追いかけたりはしない。
 鍵を回す。今度は左に、それから右に。鍵穴は大きすぎた。
 闇の奥から犬が地面を蹴る音が聞こえてくる。
 苔の生した祭壇、崩れた壁。
 なす術もなく柱の裏に身を隠すと、足音はあっという間に近づく。速度が落ち、ぱしぱし、ぱし、ぱしぱし、ぱし、という音になる。
 その後ろから追っ手がまっすぐこちらに向かってくる。長い槍を持って。
 地面に目をやると、凍った地面に薄い影が伸びている。おれの影だ。犬が鼻を鳴らしながら近づく。鍵穴の下をうろつき、柱からはみ出た影を踏む。
 息を殺し、身をかためる。
 はっとして指が触れているところを見る。鍵穴は貫通しているようで、柱のこちら側にも穴がある。鍵はこちらから差すのだろうか?
 犬が吠えた。
 素早く鍵を差し、右に回す。それから左に回す。
 感触がない。
 犬は一度吠えたきり、黙っている。
 天国なんて嘘だったのか?そうではない。なにか。鍵も鍵穴も本物だ。他に。ここまで来たんだ。あと少し、逃げるには先に行くしかない。
 追っ手はどうした?
 鍵を回す。右に。右に。
 鍵を抜く。
 なにをすればいい?
 静かだ。犬は吠えない。追っ手も来ない。
 頭のなかだけが混沌としている。脈絡のない言葉、体は動かない、ただ言葉だけが頭に溢れてくる。もう諦めてしまったのか。考えてはいけない、もう一度鍵を握りなおす。
 身を屈め、鍵穴を覗いた。向こう側は見えない。凍った路も、廃墟も。真っ暗だ。なにかが近づいてくる。感じることができた。
 それがおれの目を刺し、頭を突き抜けていったとき、まだ意識があった。音を聞くことができた。槍は右に、それから左に、きっかりと回り、かちっという音。心地よく響く。
 それでなんだか救われたような気分になって、おれは旅立つことができた。



Copyright © 2003 林徳鎬 / 編集: 短編