第12期 #17

アスファルト

 彼女に言われるまま腕をだした。金属の、にぶい輝きが目に入り、冷たい感覚が手首に走った。
「なんだよ、これは」
 私は手錠をかけられ、柵に繋がれていた。
「あなたは残るの」
 彼女は言った。

   私はアスファルトになりたかった

 彼女は私から離れ、巨大なタンクの蓋を開いた。原油独特の臭いが流れる。
「なぜだ!」
 手錠は強く引っ張ると、よけいにきつく締まった。体がしびれて、うまく声がだせない。さっき二人で飲んだ薬が効きはじめていた。
「あなたは残るの」
 彼女は言った。
「そして書くのよ」

   家と家、街と街のあいだに敷き詰められて
   車に轢かれ
   人に踏まれ
   犬に小便をかけられる

 彼女と私は病を通じて知り合った。同じ病を持つ者どうしが、家族にも恋人にも話せない悩みを打ちあけあう。そこで、彼女と私は互いの肉体の奥底に長い間しまいこんでいた、不定形の黒い塊を、言葉にしようとした。

   白線に区切られ
   標識や信号を刺し込まれて
   私は人の役に立つ

 私が売れない作家であることを打ちあけると、彼女は一篇の詩を書いてきた。「アスファルト」という題がついていた。

   目立つこともなく
   有り難がられることもなく
   口がないので自らの役割を吹聴することもできない

「いまからでも遅くはない」
 私は言った。
「一緒に道路に敷かれましょう」

 何十億年も昔、下等で小さな生物たちが海を支配していた。彼らは寿命が尽きると雪のように海底に降り積もった。そうして気の遠くなるほど長い間、自らの重みに押しつぶされ、地球の熱に温められて、互いの壁を取りはらい、熔け合い、混じり合って黒い液体へと変化していった。そしてさらに長い、永遠に近いほどの眠りを経て、再び地上に運びだされた。
 運びだされた黒い液体は火にかけられて、人の役に立つ部分が抽出される。抽出されたあとの残りは、黒く固められる。

「あなたは残るの」
 彼女は言った。
「そして書くのよ。私のこと」
「やめろ! 俺をおいていくな! 小説なんてどうでもいいんだ。俺をひとりに」
 彼女は黒い液体のなかに消えていった。
「俺をひとりに……しないでくれ……」

   轢かれに轢かれ
   踏まれに踏まれて
   私は人の役に立つ

   摺り切れるまで横たわり
   古くなれば
   新しい私が
   その上に敷き詰められる

   ああ
   私は
   ほんとうに
   アスファルトになりたかった



Copyright © 2003 逢澤透明 / 編集: 短編