第117期 #3

行進

「質問に答える気がないのですか?」と真ん中の面接官は少しムッとした表情で続けた。「どうして君は教師になろうと思ったのか,志望動機を聞いているのです」。イラつきを隠そうとしない主査の隣で,副査の女性がしきりに何かを書いている。節くれ立った汚い指だ。
「きれいな指ですね」。副査は,はっとして顔を上げた。

僕は,小学校の運動会が大嫌いでした。運動音痴だったわけではありません。そもそも赤組と白組に分かれて得点を競い合うのが嫌だったのだと思います。
競技の前にはお決まりの入場行進がありました。バトンを操れる女子や,大太鼓や小太鼓を抱えることのできる体格のよい子は,選ばれて列の前に出されます。その他大勢は縦笛(リコーダー)を吹きながら歩きます。もちろん僕はリコーダー組でした。
クラスに笑顔の可愛い女の子がいました。名前も,顔の作りすらろくすっぽ覚えていないのに「いつも笑っている」印象がある子でした。
その子には,左手の,人差し指と薬指がありませんでした。彼女はリコーダーが吹けません。指が足りないのですから,リコーダーの穴を押さえることが出来ないのです。
入場行進の練習で,彼女は目立っていました。彼女はハーモニカを持たされていたのです。音楽の時間ならともかく,僕にはそれが耐えられませんでした。行進の列では,彼女はいつも僕の右後ろにいて,否応なく視界に入って来ました。

運動会当日,誰かが休んで列がずれたのか,彼女は僕の右隣にやってきました。
行進が始まりました。大太鼓の合図でみんながリコーダーの準備を始めたとき,僕はとっさに彼女の左手を握っていました。彼女もびっくりしたのでしょう,初めは手を振り払うそぶりをみせたのですが,僕が力を込めると,彼女はその倍の力で握り返してきました。
結局,僕たちは,彼女はハーモニカを右手に持ち,僕はリコーダーを左手に持って,仲良く手を組んで校庭を「行進」してしまったのです。僕はそのときの「手」の感触を忘れることができません。
その年,僕のクラスは赤組でした。応援合戦の歌の終盤,「フレ〜フレ〜あ〜か!」の「あ〜か!」の箇所で,僕は大声で「し〜ろ!」と声を張り上げていました。あとで担任の先生に呼ばれました。「なぜあんなことをしたのか」。僕は答えませんでした。

「面接はこれで終わりにします。今日はお疲れ様でした」。主査は立ち上がりかけたが,副査はまだ僕から視線を外していなかった。



Copyright © 2012 山本高麦 / 編集: 短編