第117期 #17
「福島出身」と告げるだけで、その場を嫌な気持ちにする。私の真ん中に空いた大きな穴が虹を食べている。
「だけど福島だけが汚染されてる訳じゃないでしょ。東京だって毎日被曝してるのよ」
などと会社の同僚は言ってくれるのだけれど、私は福島を誇りに思ってるわけでもないし、勝手に同情されるのも迷惑な話である。
「ねえ、あんた達まだ放射能とか気にしてんの?」と同じ課の女が、うっすらと赤い鼻水を垂らしながら話に割り込んできた。「だけど自分の不安を放射能のせいに出来る人って、逆に羨ましいけどね」
ため息をつくと携帯にメールが届いた。
「件名:愛してっぺ」
福島の友人から。
「本文:あんた、東京に彼氏でも出来たんかいな。311からずっと電話にも出えへんし、そらあメールの文面かて関西弁になるわ」
と友人は私を責めたが、実は関西へ移住することになったので、今関西弁を練習している最中なのだと告白した。
「:福島はもう限界じゃけえね、彼氏と別れたぜよ。そしたら昨日ね、あの猫川俊太郎も死んだとよ」
猫川俊太郎というのは、友人が小学生の頃から飼っていた猫の名前で、もうかれこれ百年は生きている猫なのだと、小学生だった私たちは信じて疑わなかった。
「:でもなんくるないさ。地球は丸いのさ」
残業を終えて会社を出ると、暗闇の中からキラキラと輝く東京が現れた。空気を吸い込むと肺の奥までキラキラしているような気分になった。
「おかえり」
私は駅のホームに立ち、電車に揺られながらキラキラと夜の街を運ばれて行く人々を眺めた。もしこれがアウシュビッツ行きの電車だとしても、誰一人驚く者はいないような気がした。
「ずいぶん遅かったな」
アパートの明かりを点けると、ソファの真ん中に一匹の猫が鎮座していた。
「俺のことを忘れたか?」
いいえ、俊太郎。でもあなたは死んだはずでしょ?
「まあな。でも本当の死を受け入れる前に、お前の顔を見ておきたかったのさ」
死にも本当や嘘があるの?
「俺は死ぬほど疲れただけ。眠たいだけ」 私は動かなくなった俊太郎を胸に抱くと、ソファに頭を沈めた。
私を一人にしないで。
「お前は今でも昼寝くさい匂いがするね」と俊太郎は言うと、私の子宮を縦に切り裂くジッパーを恋人のように優しく下ろした。「俺は大好きなお前の中へ帰るだけさ」
馬鹿馬鹿。死にたいのは私のほうなのに。
「百年後は人間になりたいな」
私は、猫になりたい。