第115期 #15

世界遺産

 私はとても美しかった。美しすぎたから十六歳の時に世界遺産に認定された。
 私は東京の西、東村山市の秋津で生まれた。幼い頃から美しいと評判だった。余りにも評判だったので父がその美しさを広めようと思いたった。
「芸能界なんかではな!」
 物足りないというのが口癖だった。私の美しさを広めるために父は会社を辞めた。会社では営業職だった父はその経験と人脈を活かして東奔西走した。クレオール語さえあやつり一心不乱だった。その苦労が結実し、十六の誕生日に私は世界遺産に認定された。しかし母は反対した。嫉妬だったと思う。
 世界遺産として私は多くの人々に鑑賞された。国家予算が組まれ、自宅が改増築された。二階の私の部屋にガラスのショウケースが用意され、そこが鑑賞室になった。西日の差す部屋だったので夏場は特に暑かった。一階の台所や風呂は資料室になった。鑑賞に来た人々はまず一階で私のバイオグラフィを閲覧し、そして二階に昇り人類が記憶すべき美しさを見る。
 私はガラスの内側で椅子に座り終日にこにこしている。十八の頃からは頭上に総金箔のボールを乗せた。クレオパトラが乗せていた物に似ている。母の発案だった。最初、私の世界遺産認定に反対だった母もいつしか賛成派になった。金が母を変えた。観覧料は800円だった。小学生以下は無料だった。その収入で家計は潤った。三鷹の駅前にマンションを購入できた。三鷹市芸術ギャラリーの入っているビルのすぐそばだ。だが金銭問題で両親は離婚した。しかしまた再婚した。同じ相手との離婚再婚、両親はそれを二回繰り返した。

「こんなものにお金を払うなんて」
「すばらしいすばらしい」
「これが始まりだ」
 様々な人たちが様々に私に意見する。馬鹿どもが多かった。切れ者もいた。けれど切れ者は私の頭があまり良くないゆえに、その切れ者ぶりがあまりよく理解できないこともあった。だから切れ者であると思うのは私の想像の域を出ない。
 還暦で私は世界遺産を引退した。幸いにも両親ともに健在で、その後は家族三人で誰からも注目されずに仲良く生活した。年を取った両親は性格の角がとれまるくなり、若い頃よりも睦まじくなって私にはうらやましい。
 世界遺産であったことは今でも良い思い出だ。さらに喜ばしいことには、私の細胞から私の複製人間が作られ、世間で活躍しているということだ。公にはされていないが、新垣結衣氏は私のクローンなのである。



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