第113期 #12

ミズナラメウロコタマフシ

大きく膨れた妻の腹の中で何かが動いたらしく、そのことを聞いた僕の脳裏には、蘇る記憶があった。

あの日も寒さの厳しい朝だった気がする。中学校へ向かう通学路の途中で見つけたそれを、僕ははじめ、これは実か、花の名残か、あるいは花の冬芽なのかな、と首をかしげながら思いを巡らした。枝先でそれは、無数の鱗が重なったような姿で、他の芽よりも飛びぬけて大きく太り、僕の目に向けて自己主張をしていた。
「寄生されてるんだよ。虫にさ」
隣にいたアイツはとにかく物知りで、人にものを教える時は、あからさまに得意げな声を出す奴だった。
僕は不機嫌になる。彼の言い方も気に食わなかったが、自分の想像を裏切るような解説も気に入らなかったのだ。だから敢えてそっけなく相槌を打って、僕はそのまま通学路を再び歩き始めたのだが、その日はずっと、あの芽のことばかりが勝手に頭に浮かんできた。
そうして帰り道、僕は一人で、こっそりとあの芽をちぎって持ち帰るのだった。自室に閉じこもって、僕は「怖いもの見たさ」というもので鼓動を狂わせながら、鱗を一枚一枚剥いでいった。だがやがて、鱗の下に硬い殻があることに気づき、もどかしくなって、最後はカッターナイフで切断した。中から出たのは白いデブの芋虫だった。
それはある種のカタルシスだった。木の中から出てきた、全く別の生き物の不気味さが、秘密を知ってしまった背徳感と渦を巻いて、何とも言えない快感が僕の中でわき上がる。しかしまもなく、僕は取り返しのつかないことをしてしまったことに気づいた。この芋虫は、きっと死ぬだろう。木の芽を殺して生きていた芋虫を、僕は生産性もなく殺すのだ。その芋虫をどうしたかは、もうわからないのだが、刹那息が苦しくなったことだけは覚えている。
翌日、僕はアイツと目を合わせることができなかった。「見たぜ。あの芽ちぎったの、お前だろ」と言われ、僕は逃げ出したのだった。

「ねぇ、お散歩に行かない?」
妻は僕に言った。
「今日はやめとこう」
僕は反射的に答える。
街路樹を窓からのぞきながら、僕は背後の妻が腹をさする乾いた音に戦慄していた。
「……そっとしておいてくれ」
自分のうめき声が耳に痛い。
それは恐ろしい予感だった。蘇った記憶を、僕はあてつけのように激しく怨んだ。しかしもう遅かった。今までの違和感を、僕はもう無視することができなくなっていたのだ。
腹の中にいるのが誰の子なのか、僕は知らなかった。



Copyright © 2012 霧野楢人 / 編集: 短編