第112期 #7
冬の朝。通りも街並みも、何もかもが青みがかった灰色に煙るあの時間が僕は好きだった。人通りの途絶えた路地や、寒さに凍える白い息や、遠くで響く電車の音や、感覚の薄れた指先や、フロントガラスに張った霜や、褪せた空の色や、澄んだ空気で構成されたモザイクアートの様なあの時間が。
そんな空虚な世界を、陽子は僕の隣で推理小説を読みながら「美しい」でも「寂しい」でもなく「おぞましい」という形容詞で表現した。
「すべてが灰一色なんて、退屈で、下劣で、醜悪よ。こんなの、まるで……」
「まるで?」
はらり。細い指がページを繰る。
「まるで、あの世みたい」
そう答えながらも視線は紙面の上を泳いでいた。心底、どうでもいいとでも言いたげに。
陽子は昔から病弱で、小学校と中学校で一年ずつ留年しているから僕より二つ年上だった。クラスでもいつも窓際で一人本を読んでいて、引っ込み思案っていうよりガキには付き合ってらんないって感じ。
窓から射し込む光が頬杖をついた横顔を、鼻から下は白に、鼻から上は黒に塗り分けていて、それがまた中世の絵画の様で印象的だったのをよく覚えている。
僕がこうして彼女と登下校を共にしているのも単に家が近かったから僕の方から声をかけたというだけで、彼女は僕をボディーガードか何かとしか思っていないだろうけど、こうして彼女と一緒の時間を共有できるだけでなんとなく僕は満足していた。
「ね、じゃあ陽子もさ、やっぱ死ぬのとか、怖いんだ?」
間をもたせるためとは言え、我ながらバカなことを訊いたと思う。
それでも彼女は眉一つ動かさなかったけれど、かすかにその声が震えたような気がした。
「どうかしら。少なくとも恐れる必要はないと思うけど。死とか、来世とか、そんな不確かなものはね」
黒目がちな瞳が揺れる。
「本当に怖いのは、はっきりと共生していかざるを得ないものよ」
ぱたん、と。ハードカバーが閉じられる。ようやく本来の色を取り戻し始めた小さな校舎が見えてきて、僕らの会話はそこで終わった。
こんな関係がずっと続くと思っていた。
でもその年の冬休み、彼女は遠くの学校に転校してしまった。
結局、あの言葉の意味は解らず終いだった。
共生していかざるを得ないもの。それは彼女の病気のことだったのか、それとも──
日陰に積もった名残雪に問いかけてみたけれど、春の訪れに死にゆく彼らに答えを訊くことは、もう出来ないようだった。