第112期 #8
私は、赤く染まった空を眺めていた。空は、全てが赤く変わり、あの青と白の世界の面影はどこにもなくて、それがどういうわけか切なくて、視界が歪んだ。
別に悲しいことがあったわけじゃない。相変わらず、さざ波の音は心地よくて、潮の匂いが鼻腔を擽っているのに、私の視界はなおも深く歪む。
白のキャンパスに橙と赤の絵の具を少しのせて、薄く延ばしたような眩しい、茜色の世界。それは、体を起こした先にも同じように広がっていて、頬を一粒の水滴が転がった。
振り向けば、青々とした森が、紅と灰色の姿へと変化していて、綺麗だけれど、それはどこか寂しく感じた。
私はもう一度、空を見上げる為に横になる。すると、茜色の世界は少しずつその色を変えていた。
薄らと輝きを見せるのは、小さな星。茜色に染めるはずだった世界にほんの少しの藍色をこぼしてしまって、慌てて、それでただ一滴の白い絵の具を零してしまった、そんな世界に姿を変え始めていた。
私は目を閉じて、風とさざ波の音を聞いていた。
“あんたは、相変わらずここがお気に入りだね”
友人の声に目を開ける。視界の先には、微笑む友人とほんの少しだけの茜色。私の目にたまったモノをみて、彼女は、心配そうにだけど、優しく微笑んでいた。
夏が終わって、秋に変わる。それが寂しくて、涙を浮かべていたというと、彼女は、優しく微笑んだまま、手を伸ばして、目元を拭ってくれた。
視界はもう歪まない。あるのは友人の差し伸べてくれた手。
その手を握ると、私の冷えたにぽっと温かさが灯った気がした。
まるで、優しい春の陽光みたいな暖かに、私の目からは同じくらいに暖かなしずくが零れおちた。
握った手を引かれて、立ち上がって、スカートについた砂粒を払い落として、私は再び友人の手を握る。
“秋は秋で綺麗だし、楽しい事があるよ”
友人の言葉に私は何も言わず、握った手に少しだけ力を入れて答える。
再び友人の顔を見ると、相変わらず春の様な微笑み。何だか、私も同じように微笑んだ。
“ほら、これで夏の熱さ”
友人は手を離して、鞄から湯気の立つ新聞紙の袋を取り出して、一つ私の手においた。
甘い香りに心が躍り、先ほどまでの切ない気持ちはどこへやら。
私たちは笑いあって、それに口をつけた。
秋は秋でいい物だと、私は思いなおすのだった。