第110期 #8

窓の霜が融けるまで

 冷えきった教室、午前10時。時計の他に、時を動かしているものは僕と彼女しか居ない。コートを羽織ったままの僕達は、時々息で手を温めながら、向かい合わせの机に広げた栗の皮を剥いている。
 「この食べられる部分ってさ、葉っぱらしいよ」
 「ふうん」
 苦し紛れの蘊蓄を披露するも彼女の相槌は淡白。僕の言葉は微妙な虚しさを残して消えていった。
 「いや、だからどうってわけでもないんだけどさ」
 聞かれたわけでもなく答えれば、「ばーか」と手元の栗が笑う。目の前にいるのに、僕の彼女は、なんだか遠い。
 付き合い始めたのは昨日の今日みたいなもので、早速勉強会を口実に誘い出した休日だったけれども、会話は続かないし教室は寒いしで僕は既に挫けそうだった。手が“かじかむ”ので勉強も進まず、「とりあえずコンビニに行って暖をとろう」と提案したのがさっき。栗はその後コンビニで買ったものだった。
 しかし栗を食べるにしても、皮付きなのは難しい。思うように手が動かなくて僕はちょっとイライラする。思えばコンビニの棚に置かれた栗には二種類あったはずだ。皮付きのやつと、もう剥けているやつ。「栗を食べよう」と言って袋を手に取ったのは彼女だった。なぜ「剥いちゃいました」にしなかったのだろう。
 「はい、これ」
 そう言って彼女は僕の前に皮の向けた一個を置いた。
 「え、いいの?」
 キョトンとする僕をよそに、彼女は再び作業に戻る。温かそうな色をした小さな手は、僕のよりずいぶん優秀に働くようだった。
 「ありがとう」
 そう言ってそれを口に入れれば、微かな甘さが広がってくる。彼女がちょっと笑った気がして、微かな熱を帯びる僕の指先。
 「そういえば、どうして皮付きの方を選んだの?」
 ためらうほどの質問ではないが、今なら聞けると思って聞いた。彼女が一瞬手を止めて、僕はどきりとしたけれど、次にその目がこちらを見たとき、僕はもっとどきりとした。なぜなのか、自分ではよくわからない。
 彼女はすぐに目を逸らし、そしてぽつりと呟いた。
 「皮剥かないと、すぐに食べ終わっちゃうから」
 その意味を考えようにも「どきどき」が邪魔をして、僕は「そっか」としか応えられなかった。
 「はい」
 彼女はまた栗を差し出す。受け取ろうとした僕の手に、ちょこんとその指が触れた。
 今さらコンコンコンと音を立てて動き始めたストーブ。間もなくその熱はほんのりと、教室を温めるだろう。



Copyright © 2011 霧野楢人 / 編集: 短編