第11期 #26
鱶とは一体何だろう、もしかしたら孵化の間違いじゃないだろうか、と人々は思い、辞書を引っぱり出して、それでやっと、ああ、鮫のことなのか。フカヒレのフカね、と納得して、「太陽と鱶の季節」と印字されたチラシをゴミ箱へ捨てた。
東京都庁に、鱶が居る。二本の塔に渡されたロープの中心にぶら下がっている。巨大な鱶だった。目は濁り、曇ったガラス玉のようだ。その目で鱶は高みから、カラス達さえ辿り着けないような高みから地上を見下ろしている。
背後には太陽。
「太陽と鱶の季節」は東京都知事主催のイベントであるにも関わらず、都庁の周りにはあまり人は居なかった。居たことは居たけれど興味がないのか、皆足早に通り過ぎてしまう。鱶を観ていたのは半ズボンの少年だけだった。少年は手に賞状を持っていた。東京都作文コンクール佳作の賞状である。少年は授賞式に出席したのだ。佳作なのにわざわざ会場まで来て賞状を貰うなんて面倒だなあ、と思いながら少年は賞状を受け取った。今はぼんやりと鱶を見上げている。
「凄いかい?」
少年の隣に男は立ち、言った。二メートルを越す巨躯。都知事の石原ジンタだ。
「私が、獲ったんだよ」
少年は凄いとか凄くないでは無く、鱶の目は何故あんなに曇っているのに、星のように輝いて見えるのだろう。死んだおばあちゃんもそうだった。死者達の目のあの不思議な色合いは何なのだろう、と思ったのだが、結局色々な部分を飛ばし、凄いね、とだけ答えた。
都知事はその言葉に満足した。
「君は頭の良い子だね」
彼は満足したままで展示を終わらせることにした。部下達に合図をし、ロープを切らせる。
「これからも頑張りたまえ」
鱶は少年と都知事の目の前に落下し、地面に大穴を空けた。大気が揺れ、少年の持っていた賞状がかさかさと鳴った。
都知事はその後、人類史上初の都知事兼宇宙飛行士になった。スペースシャトルに乗り込み、人々に拍手で送られ、彼は火星へと旅立っていった。
少年は青年になった。女に大変もてるようになった。何一つ嘘を吐くことなく、彼は女に全てを貢がせた。
年上のソープ女にその白く細い指を舐めらながら、彼は窓の外を眺める。
「星が見えないな」
見当違いの角度で空を見上げ、そう呟く。
あれから「太陽と鱶の季節」は開催されていないが、地面に空いた穴はそのままになっていた。暗く底の見通せないあの大穴は、今でも東京の名所として人気が高い。